【人権フォーラム】私のあるく道―遺志を継ぎ、さらなる法改正と再審を求めて―

2026.10.20

 

磯田浩隆師(熊本市泰巖寺住職)は明光寺専門僧堂講師や曹洞宗人権教育啓発相談員をお務めになりながら、くまもと「狭山事件」を考える住民の会の代表として活動されています。その活動については2020年10月号「人権フォーラム」に寄稿いただき、僧侶として狭山事件に関わる意義について伝えていただきました。

その後、現在までの6年間に石川一雄さんの逝去もあり狭山事件を取り巻く環境は大きく変わっています。この間の歩みと現在の取り組みを、2026年の刑事訴訟法(改正再審法)の改正にも触れてご寄稿いただきました。

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熊本市泰巌寺住職・くまもと「狭山事件」を考える住民の会

代表 磯田浩隆

磯田浩隆さん

「狭山事件」は、1963年5月1日に発生、同月23日に被差別部落で生れ育った石川一雄さんが別件で逮捕された。昼夜を問わずの厳しい取り調べ中でも犯行を否認し続けた。その後、一度釈放され、その場で再逮捕、警察署とは別棟での取り調べ、兄を犯人と思わせ、身代りとして十年で出してやるとの虚偽と甘言で犯行を認めさせ、嘘の自白に導いた。自白を始めた後、次々と被害者の遺留品が発見される。犯人しか知り得ない秘密の暴露として後の有罪の決め手とされた。発見現場は、すでに大勢の捜査官により調べ尽くされている場所であった。また、誘導されたであろう自白には、矛盾が生じている。それは作られたストーリーである。石川さんの事件当日の行動は、まったくこの事件とは関わりのないものであった。アリバイはあった。石川さんは、虚言者とされ、家族の証言は無意味とされた。警察には足取りの捜査記録があるはずだ。被害者についてもしかり。時間的にも空間的にも成り立たない事件である。

 

「人生の終焉迄には様々あれど吾の二の舞断固断つ」

石川一雄さんの短歌

2025年3月11日に石川一雄さんが逝去された。前年の暮れより体調を崩し、入退院、3月7日に再入院されてのことだ。直接聞くことは憚られ新聞報道によると誤嚥性肺炎だと知った。

石川さんは、必ず第三次再審請求で決着をつけると気力をふり絞って闘っていた。4月上旬の三者協議において、ようやく鑑定人尋問実現への展望が見えた矢先だった。現在、石川一雄さんの遺志を継ぎ、連れ合いの石川早智子さんが4月4日に申し立て再審請求人として狭山事件の第四次再審請求中である。278点の新証拠を提出し、有罪判決が誤りを明らかにして再審開始を求めてきた。事実取調請求書を提出し、鑑定人11人の証人喚問、とりわけ、筆跡、万年筆、自白について鑑定人4人の証人尋問を先ず実施するように求めている。

これに対して検察官は、今年3月末に弁護団が提出した新証拠、主張すべてに対して反論し鑑定人尋問の必要性は無く、再審請求を棄却すべきと意見書を提出している。東京高裁担当裁判長の家令和典裁判長が定年退官し、今年3月18日付けで前田巌裁判長に交代した。

7月14日第5回三者協議で、弁護団によるプレゼンテーションがおこなわれ、提出した新証拠によって有罪判決に疑問が生じており、再審を開始すべきことを説明した。次回9月上旬の三者協議において検察官によるプレゼンテーションがおこなわれる。前田裁判長、主任裁判官二名には、司法の正義を示して欲しい。

石川さんは、今の再審制度では「無辜の救済」に足りえないと獄中の頃から訴えていた。袴田さんの再審無罪判決をうけて世論の動きで、ようやく再審制度改正の議論となったが、検察官による再審開始決定に対する抗告は全面禁止とはならず原則禁止となり、証拠開示のルールもかえって狭まったと言える。再審請求の事実調べをする期日の指定、再審請求人の死亡もしくは心神喪失の承継の拡大についても盛り込まれることは無かった。残念である。さらなる改正を求める。

石川一雄さんは、1963年に身代金誘拐殺人事件の犯人として逮捕され、汚名を着せられ62年間の不撓不屈の闘いを続けてきた。逮捕以来32年間の獄中から無実を訴え続け、1994年に仮出獄後は冤罪を晴らすため、全国を東奔西走し無実を訴えた。

1996年に早智子さんと結婚し、ともに再審開始完全無罪勝利にむけて闘い続けた。どちらかと言うと不器用に見え真っ直ぐで一途な一雄さんと社交的な一面を持ち合わせられる早智子さん2人の存在が、さらに支援の輪を拡げたと感じている。石川一雄さんが「石川一雄」であり続け、石川早智子さんが「石川早智子」であり続けることを「ヒーロー像」として求めているのでは、負担をかけていないかと自分に問うこともあった。

「部落の人の『差別の痛み』が狭山(闘争)に詰まっています。狭山に出会って石川のメッセージに出会ってやっと人間としてあたりまえに堂々と生きることができた様に思います。小さな一人一人の思いが大きな波になります。狭山に出会ってほんとうに幸せでした。」と石川早智子さんの言葉。

石川一雄さんは、部落差別による貧困から学業の保障がなされず、小学校には、低学年まで少しの日数しか出席できていない。教科書もノートも筆記具も無く、農作業の手伝いや子守がないときに登校しても授業が理解できない。文字を習う機会も失った。当時の教員からの家庭訪問どころか不登校児童への保護者への問い合わせも無かったと聞いている。石川さんは、自分が被った差別冤罪、その不条理を抗い、はね返す力として、子どもたちに勉強しなさいと、強く伝えて訴えられた。部落差別は許さない、誰もが笑顔で過ごせる世の中にする「決意」とそのために闘い続ける「覚悟」は揺るがないものであった。

狭山(闘争)にかかわることとは、他者の痛み(苦)に触れることで自らの痛み(苦)の意味に気づく場所である。そのことが、組織のなかの自分より個としての自分の意思によってかかわる人々が多く見られる。その一人一人の生き方の指針となっていると感じている。

石川一雄さんとの思い出がある。石川さんと個人的な会話はごくわずかで、特に支援者と握手して挨拶時は、遠慮した。一度後ろから、「磯田さん」と声かけされたことがあった。ジョークをニコニコと笑顔で話された。突然のことで笑う余裕が無い私は、不自然な笑顔で答えることしかできなかった。亡くなられた後に、早智子さんから一雄さんは、人を笑わすのが好きでした。その人の笑顔を見ることを喜んでいましたとお聞きした。あるとき、石川さんの笑顔が消え「わたしの人生に悔いはない。もし、この事件に巻き込まれていなかったら違う生き方をしていただろう。ただ自分を落とし込めた警察検察は許さない。」と真剣な表情で言われたかと思うと「周りからは誤解されるから話すなと言われてる」と笑いながら言われた破顔は今でも目に浮かぶ。

坐り込み活動の様子

くまもと「狭山事件」を考える住民の会は、1999年10月に発足し、2002年6月より「再審開始・鑑定人尋問事実調べの実施、全証拠の開示」を求める抗議の坐り込みを毎月23日に続けている。必ず真実はあきらかになると確信している。決してあきらめない。

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私事ではありますが、本年7月28日夕刻、令和8年熊本地震が発生し、突然の大きな揺れが襲い甚大な被害を被りました。熊本市大慈寺を支援物資搬入先(中継地点)とし、飲料水等を配達させていただきました。皆さまのご支援に感謝いたします。

紙面をお借りしてお礼申し上げます。合掌。

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◆ポッドキャスト配信のお知らせ
人権擁護推進本部では、この度ポッドキャスト「わ わ わ」の配信を開始いたしました。「人権」について、宗教者と各分野の専門家の対話を通して考え、学んでいただく番組です。ぜひご聴取いただくとともに、檀信徒の皆さま方へもお薦めいただきますようお願いいたします。

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人権擁護推進本部 記