【International】桑港寺に赴任して

2017.04.10
入山式

去る平成28年12月に、アメリカ合衆国の西海岸、サンフランシスコ市に位置する桑港寺において「入山式」を修行いたしました。当日は天候にも恵まれ、100名近い檀信徒や関係者に参列いただくことができました。無事に円成できましたのも、アメリカ国内や遠路日本からもお越しくださいましたご寺院さま、また事前の準備等をしてくださった檀信徒の皆さまをはじめ、多くの方のご協力があったからこそでした。

入山式に臨む筆者


赴任して以来約2年間、毎日手を合わせ見慣れた本尊さまにご回向するとき、戦前より80年もの間、日本から赴任された歴代開教師、国際布教師の手によって受け継がれてきた法灯を、確かにこの手に受け取ったのだ、と思いを新たにいたしました。
平成26年、永平寺での安居を終え青森県の師寮寺にて修行中であった私は、ご縁もあり、国際布教師の任を拝命し、桑港寺へ赴任することとなりました。
はるか太平洋を渡り、サンフランシスコの地を踏んだのは平成27年3月のことでした。空港へ降り立ち、車で30分ほど北へと向かうとサンフランシスコの日本町があり、その中でも特に日本らしい建築が目を引く寺院が桑港寺です。
檀信徒の皆さまは到着を待ちわびてくださっていたご様子で、歓迎の笑顔と温かな言葉を向けてくれました。それらをありがたく思う気持ちと同時に、お寺を預かるひとりの「国際布教師」として、この桑港寺で精進していくことへの緊張感、そして大きな使命感と責任感が、胸中に溢れたのを憶えています。

 

サンフランシスコ 桑港寺

桑港寺は、1900年代初期よりハワイやロサンゼルスで開教にご尽力された磯部峰仙老師がサンフランシスコに移り、日系移民有志の協力のもと、1934年に開創されました。1960年代には鈴木俊隆老師による指導のもと、参禅者が増加したことにより、サンフランシスコ禅センターが桑港寺内に設立され、北アメリカで曹洞禅が広く布教されていく大きな基盤の1つとなりました。鈴木老師の指導を仰いだ僧侶たちは、アメリカ合衆国全土でそれぞれ禅センターの指導者として、曹洞禅の発展に力を注いでいます。
1984年には檀信徒の努力が実を結び、現在地へと移転、新伽藍が完成し、一段と日本の寺院らしい佇まいになり、それから30年余経つ今でも大切に護持、運営されています。
創立当初は、海外各地にある日系寺院と同様に、日系移民のコミュニティの場として欠かせないものでした。しかし、時代の移り変わりとともに、檀信徒の中心となる世代が日系3世・4世へと替わり、それまでの日系コミュニティの場として、また曹洞宗の寺院としての行持や布教活動の拠点としての役割に加え、多方面へ向けた活動を行うようになってきたのです。

 

檀信徒総回向


現在では、三仏忌や両彼岸、盂蘭盆会といった年分行持や檀信徒をはじめ広く一般に向けた坐禅会、サンフランシスコ近郊に住む多くの日本人にお参りいただく初詣や厄払い、七五三、初参りや安産祈願といった祈祷法要のほか、節分、ひな祭り、餅つきなど、日本の年中行事に参加することができる場を設けるなど、日本の文化、伝統を継承する場としても大切な存在になっています。曹洞宗の日系寺院としてだけではなく、日本人や日系アメリカ人のコミュニティの場、仏教や禅を現地の人たちに布教していく発信地、そして日本文化を継承していく場と、多面的な役割を持つようになりました。
赴任して3年が過ぎ、ようやくアメリカ、サンフランシスコという地と文化にも慣れてきました。

桑港寺でのミーティングの様子


アメリカの人々の特徴は、仏教や日本文化に触れるたびに「なぜ?」という疑問が生まれることではないかと感じています。なぜお葬式をする必要があるのか、なぜお経を読むのか、なぜ木魚を叩くのか、なぜお焼香をするのか、なぜ合掌をするのか、なぜ正月に鏡餅をお供えするのか、なぜお節料理を食べるのか、なぜ節分には豆をまくのか、と多くの疑問が生じます。
日本人にとって生まれ育つ中でいつの間にか「伝統」として違和感もなく行ってきたほとんどのことは、客観的に見ると疑問が生まれることだらけなのです。合理主義的な人が多いアメリカの国民性もあり、鋭い質問にたびたび私も言葉を詰まらせてしまいますが、そのような、仏教や日本文化について改めて深く掘り下げて勉強し、ひとつひとつ理解・納得してもらうまでの過程を与えてれる機会こそ、桑港寺のこれからに繋がるものだと感じています。

大般若祈祷


桑港寺は、檀信徒をはじめとして多くのボランティアの協力があり、活動を行うことができています。北アメリカに赴任している他の僧侶や、坐禅会の参加者、建物内のホールで少林寺拳法のクラスを行っているグループなど、見返りを求めることなくお寺の活動に力添えをしてくださる姿に布施の心を感じ、それに対する感謝の気持ちと共に、長くこのお寺を支えていくための柱の1つでありたいと思う気持ちも日を追うごとに強くなっています。
お寺の閉鎖を余儀なくされていた第2次世界大戦中にも、檀信徒の皆さまは強制収容所に居ながらも建物維持のための費用の支払いを続けたそうです。そのようにしてまで大切にお護りいただいたこの桑港寺を、これからも護持し、未来に向かって発展させるべく、檀信徒の皆さまと力を合わせ、一所懸命に精進いたします。

(北アメリカ国際布教師 黒瀧康之記)

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