【International】目標1 貧困をなくそう

2021.04.08

「貧困、慈善、従順」という言葉を聞くと、私たち西洋人は、心のどこかで宗教的生活とつなげて考えがちです。仏教の僧侶の生活についても、同じような価値基準で考えてしまうかもしれません。しかし、お釈迦さまは、パーリ語経典の中で、頑なな自己否定でも、過度な放縦でもない中道を示してくださっています。

現在国連が持続可能な開発目標(SDGs)のなかで劣悪な貧困と認定する1日1ドル90セントの極貧の生活を、仏陀は「中道」とはみなさないでしょう。『中阿含経』の『一切漏経』において、バランスのとれた修行生活に必要な四つの必須条件として、衣服、食料、住居、薬が挙げられています。これらの条件の欠乏は、苦しみを生じさせると記されています。

今日、この地球では7億人以上の人々が劣悪な貧困の中で生きています。こうした人たちの多くはこの4つの条件を十分に満たせていない為、物質的な困窮のみならず、精神的な生活までも困窮してしまうことがあるのです。『長阿含経』でお釈迦さまはこのように話されています。

困窮する者に財産を与えぬことで貧困は蔓延し、貧困が拡大することで与えられざるものを盗むことが増え、窃盗が増加することで武器が使用されることが増え、武器の使用が増加することで命が奪われることが増える。

2021年、新型コロナウィルスの世界的感染拡大により、1億5000万人もの人々が厳しい貧困のくらしを強いられることとなりました。それでも、幸いなことに1990年から世界で貧困状態にある人口の割合は36パーセントから約9パーセントまで減っています。SDGsは、貧困の撲滅を優先目標として、2030年までには貧困を正式に撲滅することを目指しています。

ロヒンギャ難民キャンプで(中央筆者)

初期仏教と大乗仏教の両方にある古代経典には、苦しみからの解放、生活の平静、存在として繰り返され続ける生死の輪廻からの離脱のように、個人の変革という観点から解脱が説かれています。

しかし同時に、「自身」の苦しみはもともと存在しない、とも説かれております。苦しみは輪廻の中の生活における真実であり、苦しみは「自身」が所有しているわけではありません。

現代の禅の実践者たちは、私たちの生き方や生活そのものが社会制度や機構と複雑に絡まりあっていると考えています。もちろん、そうした社会的機構は個々の人間から成り立っていますが、同時にそれは、団体やコミュニティー、自治体や企業などの複雑な影響を受けながら、個の域を超えた存在となっています。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、「本当のところではすべての命は互いにかかわりあっている。逃れることのできない相互に依存しあう関係性の網に絡まり、運命という一着の衣に縛られている。一人に直接影響するものは何であれ、すべてに間接的に影響を及ぼす。」と述べています。

教皇フランシスコとの面会

現代における貧困とは、人類が別々の存在であるという貪・瞋・痴(3つの煩悩)によってつき動かされてきた制度なのです。「貧困の撲滅」は、1992年にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議「地球サミット」での21のアジェンダの中で最初に表明されたSDGsの最優先事項であり、全人類の兄弟・姉妹らの困窮から眼をそらすことなく、私たち各個人の責任を認識することが求められています。

また、政界や経済界にはじまり、私たちの宗教的センターや寺院、教会などに至るまで、社会のあらゆる層における団体や体制の介入が必要とされており、貧困の撲滅を図る手段として次のような働きかけが挙げられます。

・持続可能な生活や起業機会、生産資源が得やすい環境の向上

・万民を対象とした基本的な社会福祉のサービスの提供

・自らの扶養が困難な人々の為の段階的な社会保障制度の整備

・貧困に生きる人々と彼らの組織・団体への権限移譲

・女性と子どもに不均衡に影響を与える貧困への措置

・貧困根絶のための海外開発支援で拡大されたシェアを配当する為の関連の贈与者や受給者との協力

・貧困根絶のための国際協力の強化

こうした方法を仏教の視点から見ることもできます。戒律はそれぞれ私たちが他者や自己とどう倫理的に関わり合っていくべきかを示しています。一つ一つの戒律は、一方で行動を戒め、他方で行動を促す働きがあるからです。

わたしが活動する寺院では、第一不殺生戒を「殺さないことを決意すると共に、すべての命を大切にします。」、第二不偸盗戒を「盗まないことを決意すると共に、まだ捧げられざる贈り物を大切にします。」と表しています。私自身は、十重禁戒を一つのことわりとして「他の命の犠牲のうえに生きることがないよう誓います。」と集約し表しています。つまり、「もの、こころ、ことば」を以て自己に得さしめるのではなく、衆生に施すことを意味しているのであり、貧困の根絶はこのことわりを直接的に表しています。

また、古くからのことわりである「ダナ・パラミータ」、日本語の「布施」にも、このことが寛容や施しという意味で記されています。道元禅師は、「菩提薩埵四摂法」の中でこう述べられました。

治生産業もとより布施にあらざることなし。はなを風にまかせ、鳥をときにまかするも、布施の功業なるべし。(日々の生業や産業も、元来、布施でないものはない。咲く花を風にまかせ、鳴く鳥をときにまかせることも大きな布施の行いなのです。)

この呼吸のような、施し施される無償の交わりは、資本主義経済の利益追求の動機とはまったく異なる経済原則を示しています。「治生産業」を布施として表現された道元禅師は、お釈迦さまの「相依縁起」の教えを捉えております。簡単な言葉で言えば、次のような教えです。

これ有るときかれ有り、これ生ずるが故にかれ生ず。これ無ければかれ無し。これ滅するゆえにかれ滅す。(『雑阿含経』より )

インド・ナガロカのダリット仏教徒

すなわち、現代の社会構造に照らして言い換えるならば、富裕があるときには貧困があり、報道されていますように二極構造が進行しております。しかしながらこの構造を変革することにより、経済的に平等な社会へと向かうことができるのです。道元禅師は、こうしたことを思って「産業」をお示しになったのだと私は考えています。

貧困の撲滅は、先に述べた取り組みを以て始めていくことができます。しかし、長期的には、社会構造や個人が欲求やむさぼりによって起こる過度の経済的・物質的追求の緩和ができるかどうか、この世において我々が共に一如であることを認められる経済的制度へと転換を図っていくことができるかどうかにかかっています。

お釈迦さまは、『パーリ仏典経蔵増支部』の中で、在家者の四種類の「楽」について記されています。

・正しき手段によってなりわいを獲得する楽

・富や功徳を家族や友人に自由に施す楽

・借りがなく自由である楽

・思考、言葉、行為で誤りを犯すことなく、憎しみから解放されている楽

 経典に説かれるような状態を作り出すことは理想でありますが、もしこれが実現できれば、持続的な発展とともに、最大の悦びを得ることができるでしょう。また貧困の撲滅という大きな目標に向けてに向けて私たちは自らにできることを探し、実行に移すことも重要であると考えています。

合掌

北アメリカ国際布教師 スナキー空色

 

北アメリカ国際布教師 スナキー空色

アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー禅センター・祥岳寺 クリアビュープロジェクト ディレクター(クリアビュープロジェクト:救済や社会改善を目的とした仏教的資源の提供、社会参画仏教の問題に関する対話を促進、米国ならびに国際社会で困窮するコミュニティーの支援などをするNPO法人)

 

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