【International】持続可能な開発目標 目標12 つくる責任 つかう責任

2022.03.03
駒形宗二師(筆者)

今回のSDGs目標12のテーマは、「持続可能な消費と生産のパターンを確保」です。これは環境への影響を最小限に抑え、すべての人の生活の質を向上させつつ、持続可能な資源を適切に使用していくことを目的としています。

目標12のテーマは、他のSDGsすべての目標と同様、企業や政府、および国がその慣行を改善し、環境保護においてより大きな責任を負うことを保証するために実施されています。また私たち一人一人も、私たち自身の生活習慣を改め、次世代を担う子どもたちのために、より良い明日を創造しようと努めなければいけません。

世界の人口が増え続ける中、SDGs目標12を達成するために、私たち一人一人が協力し合うことが必要不可欠です。責任を負うべき生産と消費は、私たちの生活のほぼすべての分野に当てはまります。私たちは日常生活の中で紙製品、ガソリン、電気、ビニール袋、ペットボトルなど様々な物の生産と消費を繰り返しております。

しかし、それらは消費する物の中のほんの一部に過ぎず、「食べ物」の生産と消費が、私たちが最も責任を負うべき問題なのではないでしょうか。なぜなら、食べ物は私たちすべての人間が生きるために、必ず消費しなければならないものだからです。

この現代において、私たちは生鮮食品と加工食品の両方が容易に入手でき、それらはとても豊富ではありますが、それらすべての食品が常に消費されているわけではありません。未使用の食品の多くは、消費者によって捨てられたり、店の棚で購入される前に賞味期限が過ぎてしまい捨てられます。また、干ばつや貧困のために食糧が不足している世界の一部の国では、輸送が困難な場所が多いため、輸送中に食糧が腐り無駄になってしまうことがあります。

幼い頃から、私はいただいた食べ物は残さず食べるようにと両親から教えられました。父は私の空の茶碗を見て、お米一粒でさえ食べ残しがないか確認していたのを覚えています。昔から食べ物を無駄にしないことが基本となっていたので、私がハワイから日本へ行き、曹洞宗のお寺で修行を始めたとき、修行中に先輩和尚さまより無駄なく食べ物をいただくよう指導をいただきましたが、まったく抵抗はありませんでした。私はそれ以上に、食品を無駄なく使用するお寺の努力に感銘を受けました。

最乗寺の典座寮で作業する筆者(左)

私は神奈川県の大雄山最乗寺で修行中、典座寮で数ヵ月修行する機会がありました。私は当時の典座和尚さまから、仏教がインドで初期の頃、僧侶が仏教の教えを布教するために町から町へと旅していた話をうかがいました。当時、僧侶らは自分たちで食事を用意するのではなく、托鉢によって町の人々から食べ物をいただいていました。しかし、仏教が中国に広まった後、社会的・経済的な環境の違いにより、僧侶たちは寺院で自分自身だけですべて養うことを余儀なくされました。

道元禅師は、適切な食事の準備をすることと寺院の繁栄とが相関関係にあることに気づかれました。そして、坐禅と仏教の教えを深めることが僧侶の正しい修行であると一般的に考えられていたとき、道元禅師は調理を修行の一つとして取り入れられました。典座は、道元禅師の記された『典座教訓』に定められた教えに従います。この典座教訓の中で道元禅師は、料理を作る者が持つべき三つの心(喜心・老心・大心)について説かれました。

道元禅師は『典座教訓』で、典座は仏道修行に邁進する修行僧に食事を提供できるので、非常に恵まれた立場であると説かれました。一年中修行僧の修行に干渉することなく、修行僧のために栄養価の高い食事を調理する任務は、喜心(作る喜び、提供する喜び)で行う必要があります。

また同時に、典座は修行僧に食事を提供する上で、注意しなければならないことがあります。それは利用できる食材の最大限の利用と最小限の浪費です。私は典座和尚さまより、調理する上での喜心を学ばせていただき感銘を受けました。喜心から責任感や献身的な心が培われます。

それと同様に、私たちは普段の生活の中で喜心を大切にし、責任をもって食べ物を消費するために、食べ物を無駄にしない、食べ過ぎない、食材を買い過ぎない、それらを継続するなど、様々な努力が必要です。一人で無駄にしない努力を一日行ったとしても、それが環境にプラスの影響を与える可能性は低いかもしれません。しかし、責任をもち最大限の利用と最小限の浪費を積極的かつ継続的に実践していくことで、大きな違いを生むでしょう。

托鉢を行う筆者(左)

典座も老心(思いやりのある心)を持つ必要があります。老心とは親が子を無条件で愛するような温かい心です。典座は栄養価の高い料理を提供することで、修行僧の命を守るだけでなく、調理に使用する食材一つ一つにも注意を払う必要があります。

最乗寺の典座和尚さまは、加工食品一つ一つに使用される食材を見て、私たちが何から生命をいただき、どのようなものが私たちの体に栄養素として取り入れられるのかを理解することはとても重要であり、注意を払って確認をすることが大事であるとおっしゃられました。

私たちは日常生活の中で、家族や友人に対して思いやりの心を持つと同様に、私たちが使用する資源についてもどうすれば環境に影響を与えずに消費できるか、を思いやりの心を持って考えていかなければなりません。私たちは限られた資源ばかりに頼り使用するだけではいけないのです。

私たちは目の前にある食べ物だけを見るのではなく、その食べ物が関わってきたすべてのものに対しても視野を広げて考える必要があります。神経内科医であり、禅の実践者であったジェームズ・オースティン氏が記した『禅と脳』にはこのように書かれています。

「すべては互いに関わり合って存在しています。一枚の紙はパルプから作られています。パルプは木から生まれたものです。木は木こりが育てたものです。木こりは彼の両親に育てられました。木こりや木こりの両親は麦畑から栄養を与えられ育ちました。麦畑は、雨や大地や太陽の光によって育ちました。雨や大地や太陽の光は母なる自然からのものです。母なる自然はすべてにつながっています」 また、最乗寺の典座和尚さまは毎日私に「大心」を持つことの重要性をお話されました。道元禅師は次のように説かれています。

「大心とは調理をする上で差別をしないことです。例えば、重いものを運ぶときに重いと思ってはいけません。軽いものも軽いと思ってはいけません。典座は常にどちらにも傾かない態度を維持しなければなりません」

SDGs目標12について学んでいくと、私たち人類が繰り返す生産と消費がどれだけ危機的状況であるのかを理解し、落胆するかもしれません。責任のある生産と消費は一人だけで行うのではなく、一人一人が、地域社会が、国家が、またすべて人類が一丸となって行っていく必要があります。

廃棄物を減らすために私たちが大きな一歩を踏み出すことは、環境に非常に良い影響を与えるでしょう。自然や環境に配慮し、物を再利用したり、保存したり、廃棄物を減らしたりといった小さな行動一つ一つの積み重ねが環境をより良くする大きな力となるのです。

合掌 

ハワイ国際布教師ハワイ国際布教総監部賛事 駒形宗二

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