「法話の会」が開催されました

2018.06.11

6月7日、東京グランドホテル(曹洞宗檀信徒会館)において、布教師養成所研修課程所員による「法話の会」が開催されました。

「法話の会」は、本宗の布教師を養成するために年3回開かれる布教師養成所の研修の一環として、行なわれているものです。今回は研修課程所員の中から代表して2名が法話をされました。一般の方約55名が参加し、熱心に耳を傾けていました。

「法話の会」開始前には、参加者が布教師と直接相談できるブースを設置し、お茶とお菓子でもてなしました。

始めに「いす坐禅」を行い心を整えた後、東京都正覚寺副住職の山田悠光師が「身体と心の再始動」、青森県清凉寺住職の柿崎宏隆師が「仏のいのち そのままに」という演題で法話をされました。

山田師は、冒頭、パソコンがフリーズした時は再起動を行なうことに例え、ご自身も多忙を極める時には、本堂で坐禅をして、身体ともに「再始動」していることを話され、道元禅師が初めて書かれた『普勧坐禅儀』にふれ、「調身」・「調息」・「調心」の要点を示されました。

そして、高校卒業の時、親のように接していた叔母を亡くされた経験を話され、一晩、棺のそばに座していたところ、叔母のお顔が微笑んでいるように見え、菩提寺のご本尊さまのように「仏」となったと思い、救われたのだと話されました。その後、愛知県にある尼僧堂に参禅し、その時、お会いした尼僧さまと作務をした経験から、僧侶になることを決意し、「出家」という人生の「再始動」をしたことを話されました。

次に法話をされました柿崎師は、最初に幽霊画の画像を見せ、過去のしがらみにとらわれ、来てもない未来に不安を抱え、足元が地についていない状況は、この世をさまよう「幽霊」であり、今を生きる坐禅の姿とは、間逆の姿であると説明されました、

そして、『普勧坐禅儀』の一節に「坐禅は、只之安楽の法門なり」と示されていることにふれ、自分自身における「お金・地位・悲しみ」などを取り除いたら、自ずと仏の命が露呈すると話されました。

また、お世話になった老僧との叱咤や指導された経験を話され、その教えは「大慈悲心」に満ちたものであったと回顧されました。老師が入院された時は、「自分の命が終わるような状況になると、誰かのしあわせのことを願ってやまない」と言われたことが印象的であり、私たちは、皆、み仏の子どもであると話されました。最後に、『正法眼蔵』・生死の巻の一節「仏となるに、いとやすきみちあり~」を示され法話を閉じられました。 

次回の「法話の会」開催日は、予定が決まり次第お知らせいたします。