石川素童禅師百回御遠忌が奉修されました。

2019.11.20

 

石川素童禅師像 (和田三造筆 大正15年)

 令和元年11月2日から5日にかけて、大本山總持寺を能登半島から横浜へ移すという大事業を成し遂げられた、石川素童禅師の百回御遠忌が奉修されました。

 石川禅師は天保12(1841)年名古屋のお生まれで、
名古屋泰増寺、彦根清凉寺、東京豪徳寺、神奈川最乗寺などの住職を経て、明治38年、64歳で大本山總持寺貫首となり、翌年曹洞宗管長に就任されました。

 開創以来能登に在った大本山總持寺は明治31年に火災で焼失してしまいますが、石川禅師は貫首となるや直ちに能登の再建と横浜鶴見への移転事業に取り掛かりました。そして明治44年11月5日、山形県鶴岡市の總穏寺より移築された放光堂と虎嘯窟の竣工を機に遷祖式を挙げ、鶴見の地へ移転したのでした。

 移転を見届けた禅師は大正9(1920)年11月16日、世寿80歳で遷化され、今年でちょうど百回忌を迎えます。

 御遠忌期間中は縁の深い焼香師による報恩法要が営まれました。最終日の5日には鬼生田俊英宗務総長が焼香師をつとめ禺中諷経、続いて大本山永平寺貫首福山諦法禅師御親香による献香諷経、曹洞宗管長大本山總持寺貫首江川辰三禅師御親香による御正当諷経が厳修されました。

御正当諷経 曹洞宗管長大本山總持寺貫首 江川辰三禅師
献香諷経 大本山永平寺貫首 福山諦法禅師
禺中諷経 鬼生田俊英宗務総長

大本山總持寺公式ホームページ

大本山總持寺紹介動画(Youtube)