大本山總持寺開山太祖瑩山紹瑾禅師700回大遠忌 四国地区管区予修法要開催報告

2024.02.01

11月1日(水)、大本山總持寺開山瑩山紹瑾禅師700回大遠忌四国管区予修法要が徳島県城滿寺において、大本山總持寺貫首・石附周行猊下を大導師にお迎えして執り行われた。全国9管区、海外4つの地域の棹尾を飾る盛儀となった。

城滿寺は正応4(1291)年、後に總持寺初祖となる太祖常済大師瑩山禅師によって開かれた、四国最古の禅宗寺院である。

城滿寺は天正3(1575)年の長宗我部元親の進攻により焼失したとされ、その後廃寺となっていたが、昭和27年に復興した後、昭和44年に先住大槻哲也師が住職に就任、伽藍復興に尽力され、平成9年本堂、平成19年に僧堂、平成25年には庫院が新築され、現住田村航也師が引き続き復興に尽力されている。

予修法要に先立ち、管区長、徳島県宗務所長および地元寺院が幾度となく城滿寺で打ち合わせや準備を行い、予修法要に併せて催される四国管区集会の会場や宿泊所の下見も行った。また、大遠忌局のご配慮により、法要の2日前から局員と本山侍局僧の合わせて3名が会場入りし、会場設営にご協力くださった。また、法要を取り仕切る法要都管と四国地区曹洞宗青年会の会員、関係の宗務庁職員、さらに地元寺院の有志寺族は前日に城滿寺に入り、法要の進退習儀を綿密に行い、その他準備に遺漏なきよう万全を期した。

当日、禅師猊下には法堂横の法要控室茶室に直接お入りいただき、法要終了後に庫院控室をお使いいただき、昼食を広間でお取りいただく段取りとした。また、法堂横の法要控室には他に2畳間に説教師、4畳半部屋に内局にお入りいただく準備をしたが、手狭であるため内局は法堂から離れた庫院の10畳間控室のみをお使いになった。他の方々の控室は庫院および旧本堂に準備し、献花師の珠寶花士には僧堂脇の一室を充てた。

法具については、まず瑩山禅師御真牌と頂相は、1週間前に予修法要が執行された中国管区の会場である松江から城滿寺へ、諸事情からやむを得ず保証付きの宅配便で予め発送いただいた。また、疏は管区長から城滿寺に郵送し、維那を務められる本山副悦まで事前に複写を送信して習儀をお願いした。単牌、立花、献菓等の準備は地元寺院が当たり、テントやパイプ椅子に関しては地元仏具店の特別な手配に与った。

当日は11月というのに穏やかな天気に恵まれ、予修法要打ち出し前、午前8時半より、導師に小原義英徳島宗務所長、両班に矢野通玄前管区教化センター統監の山本俊雄前所長と宗務所役職員が就き、仰真諷経・献花式が行われた。

続いて9時半より、大本山總持寺布教師の守屋敬道師(北海道見龍寺住職)の記念講演が行われ、参集した檀信徒約100名に対して、太祖瑩山禅師の行跡や城滿寺の由来、および700回大遠忌をお迎えする意義や心について説いていただき、法要への良き導入となった。

その後、10時半打ち出し予修法要に先立ち、曹洞宗宗務総長による式辞があった。続いて、大導師・大本山總持寺貫首石附周行猊下におかれては、徳島県梅花講員の詠讃歌お唱えの中ご上殿された。特に尊宿には曹洞宗参議の渡邉義弘師(兵庫県永澤寺住職)の御来臨を賜り、両班には愛媛県・徳島県の宗務所長と教区長を、維那には大本山總持寺副悦の仙井浩隆師(愛媛県)を迎え、法堂都管の円通寺本土一真師の元、四国地区曹洞宗青年会の面々により、作法に従って宗門で最も格調高い「伝供十八拝」の法要が行われた。上本英昭梅花流特派師範(愛媛県)による独詠の中、大導師は瑩山禅師に蜜湯・御飯・嚫金・御菓子・御茶を恭しくお供えされ、十八回礼拝された。お供えが終わると、瑩山禅師を讃える法語のお示しがあり、報恩の誠を捧げられた。両班の出班焼香が終わると、維那は「大衆九拝」と喝し、大鏧にあわせ、宗侶および参列者は九回の礼拝を捧げた。維那和尚により疏が宣読された後、『参同契』『宝鏡三昧』が読誦せられ、遶行を二匝した。続いて尊宿・護持会ならびに参列者の焼香と進み、略回向が唱えられた。最後に、参列者同じく三拝を捧げた。

引き続き、大導師・石附周行猊下の御垂示があり、大導師は梅花講講員の奉詠にあわせてご退堂された。続いて大遠忌局総監の渡辺啓司大本山總持寺監院の挨拶をもって、予修法要は無事円成した。散堂後、法堂前階段にて、大禅師猊下、宗務総長、大遠忌局総監以下の宗侶、および参列の四国管区内各護持会長と檀信徒が並び、記念撮影がなされた。

法要罷、前日の管区集会参加者は宿泊所にて昼食、大禅師猊下をはじめとした方々は庫院の控室でしばしご休息いただき、庫院2階の広間で中食をお取りいただいた。中食罷、それぞれの行程に従いご出発され、青年会も会場片付けの後、夕方前には帰路に就いて、四国管区の大遠忌予修法要はつつがなく終了した。誠に有難きことであった。