迷える中年ライターが『修証義』を書き写してみた ~曹洞宗のお経を一般人が読むと?(第3章・第13節)~


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honbun初めて触れる『修証義しゅしょうぎ』の本文を読み、鉛筆を手に書き写し、また現代語訳を読む中で感じた事を率直に語っていきます。第13回は、第3章「受戒入位」の第13節について。

第13節「南無帰依仏なむきえぶつ南無帰依法なむきえほう南無帰依僧なむきえそう

■ライターはこう思いました

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ライター 渡辺ロイさん

この節では、様ざまな戒律を理解し守る前に、これだけは身に染みて理解し実践しなくてはいけませんよ、という事柄について語っています。
とはいえ、考え方などの詳細は前節までで説明してあり、ここでは「口に唱えて云(いわ)く」として、実際に唱える文言について触れています。

ここまで語られてきた「三宝」について関係する文言、「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」を唱えましょう、といっています。
仏について、法(仏法)について、僧について、帰依します、という文言です。

そういえばよく見聞きする「南無」という言葉。
「守り、信じ、すがる(恃みにする)」と宣言する意味合いと、自分が信じる仏などに対して能動的に語りかけるときの接頭語のような役割をもつ言葉のようです。正確なところは「禅僧がライターへこう応えました」のところで教えていただくこととして、ここでは一般人の感じるイメージを少し語ってみたいと思います。

そういえば最近の人たち(中年とはいえ私も含め)は、反射的に何かを唱えるということをしなくなっています。
雷が鳴ったりした時に「くわばらくわばら」とか。まあ、これは雷神となった菅原道眞公が自分の領地だった桑原にだけは雷を落とさなかったから、こう唱えて難を避けようとする迷信ですが。
とっさにそんなおまじないなりを「唱える」という風習が、長い間この国にはあったのだろうと推測します。

江戸の頃から識字率が比較的高かった我が国ではありますが、それでもやはり一般的に「文字」が日常的な道具として普及するまでの時間は、相当長かったことは想像にかたくありません。
だから、口に出して唱える文言というのは、今よりも利用価値が高く、そしてある程度の権威もあったのだと思います。
落語などでも、独特の言い回しや地口(じぐち)などが今よりも豊富な印象です。
なので、仏教においても「唱える」という行為は、多くの人に教えやルールを浸透させるためには、重要なものであったのでしょう。

この「唱える」という行為は、洋の東西を問わず、人が重要視する行為のようです。
例の「オーマイガッ!」だって、本来は「ああ、なんてことでしょう、神様!」だったのに、あまりにも唱える回数が多くなりすぎて、いまでは「なんてこった! やばい!」くらいの軽い意味になってしまっているようですし。

意味合いが軽くなってしまうのは考えものですが、それほどに人間というものは、心を揺さぶられたり思わぬ状況に置かれたりした時に、なにかを「唱えずにはいられない」生き物なのかもしれません。
なのに、最近の日本人は「マジ!?」とか「やばい!」とか、あまり語義に背景のない言葉を「唱え」ているようです。
あまり意味もないのに、でもやはり「唱える」という行為だけはやり続けている。
とすると、南無で始まる言葉を思わず使うような習慣にまでしてしまえば、今度は考え方があとからついてきてくれるのかも。

頭で理解するだけではなく、口に出して唱えてみる。
すると、さまざまなものが染みてくる。少なくともその可能性は大いに高いのだと思います。
仏教の、ロジカルなところと実践的なところ、その両方に興味深さを感じられずにいられないのは、こういうところなのです。


■禅僧がライターへこう応えました

「南無」は、古いインドの言葉(サンスクリット語)で「ナモ」と発音されていた言葉の音写語で、「尊敬し、すべてをお任せします」という意味があります。「南が無い」という意味ではなく、いわゆる「当て字」のようなものですね。
ちなみに「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」の南無も同じ意味合いで使われています。意訳すると「帰依」となりますので、「南無帰依」は、「ナモ」の音写と意訳を続けてお唱えしていることになります。

口に唱えることは、仏教ではとても重要なことと考えます。第2章の「懺悔」のところにも関わりますが、仏教では人間の行為を「身・口・意」とし、身(行い)や意(考え)と同じくらい口(言葉)を重要なものとしてとらえてきたのです。

ところでロイさんは、キリスト教の「オーマイガッ!」を引き合いに出していますが、日本でも似たような意味合いで、ピンチの時に咄嗟に唱える「なむさん!」という言葉がありますよね。これは実は「南無三宝」が語源だという事はご存知でしたか?

昔から日本人は、自分の力ではどうしようもないような事柄に当たった時に「仏・法・僧」の三宝にすがろうと考えたのですね。

最近あまり使われないのが残念です。

 

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