迷える中年ライターが『修証義』を書き写してみた ~曹洞宗のお経を一般人が読むと?(第4章・第18節)~

2018.03.16

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初めて触れる『修証義しゅしょうぎ』の本文を読み、鉛筆を手に書き写し、また現代語訳を読む中で感じた事を率直に語っていきます。第18回は、第4章「発願利生」の第18節について。

honbun第18節 「菩提心を発すというは」

■ライターはこう思いました

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ライター 渡辺ロイさん

この節から第4章「発願利生」の始まりとなります。
菩提心を発することで、いかなる利生(仏が人々を救済し悟りに導くこと、仏の恵みが生じること)が成し得るのか、というようなことがここから説かれるようです。

この節で書かれていることは、いわば選手宣誓です。
菩提心を発するというのは、仏心に目覚めた生き方を実践すること、と現代語訳にはあります。そして、それは自分本位の心を捨て、世のため人のため、すべてのもののために尽くすということなのだそうです。ここでは、それを誓い実践しましょう、という宣言となっています。

徹底的に自分本位に生きている人は、それほど多くはないかと思われます。
ミステリー小説などからの聞きかじりですが、連続殺人などを犯すサイコパスは、他者の痛みを全く想像できない精神病質であるとされています。
つまり一部の例外を除けば、人はみな、どこか自分以外の人のことを考え、慮って生きているのではないでしょうか。物騒な例を出して恐縮ですが。

一方でうっかり自分勝手な行動を取ってしまうこともまた、多くの人にとって思い当たるフシがあるはずです。
小さいことであれば、コンビニのお弁当を選んでいて、気がついたら通る人の邪魔になっていた、とか。歩いていて落ちている手袋を見かけたが、通っている側と逆の端っこに落ちていたので、そのままで通り過ぎた、とか。
こんなことはもちろん、小さいことですし気にとめることもないような、些細な出来事です。
でも、こう考えられないかな、と中年ライターは思うのです。

そういう行為は、すべて「自分の効率」をよくすることから始まっているようです。

お弁当の賞味期限をよく見ようと、後ろのことを考えずにかがみこんでしまうとき、それは「一度後ろを振り返る」という行為が効率的ではないからしないのです。
手袋のところまでちょっと遠回りするよりも、まっすぐ歩く方が効率がいいから、スルーしてしまうのです。
きっとこの程度の小さいことも、いや小さいことだからこそ無意識に、自分の効率を優先してしまうクセが身についているのでしょう。
「今日は自分勝手に生きたな」と自覚しなくても、実はこういう小さな効率優先主義に則って、多くの人は生きているはずです。

だとすると、菩提心を発するということは、実は途方もなく大変なことかもしれません。
他者のために生きることを突き詰めるとすれば、それはとても大変なことだからです。
自分の利益を優先しないという受動的な行動ならまだしも、率先して能動的に他者のために考え、祈り、動くことはたやすいことではないはずです。それは簡単に想像できます。身についた効率優先主義のクセを意識的に剥ぎ取り、自分以外のもののために生きようとするなんて、とても大変なはずです。

しかし、菩提心がなければ修行は続かない、そう前回の僧侶からのお返事に書かれていました。
菩提心を発することが、仏の仲間として生きるのに欠かすことができないことだともおっしゃっています。
うーん、なんという簡単で難しいことか。
だからこそ、この短い節で改めて宣誓しているのでしょう。やはり、仏教は優しくて厳しいものなんですね。

 

■禅僧がライターへこう応えました

仏教、特に大乗仏教の教えとは、原則的には「仏となるための教え」でありました。つまり、仏さまと等しいさとりを得て、仏となるための教えであります。
そして、さとり(菩提・阿耨多羅三藐三菩提、この上なき正しいさとり)を求める心が、本来は、「菩提心」と呼ばれました。

ところが、この「菩提心」を発すことを、本節では、「自未得度先度の心を発すべし」と述べられておりまして、まず、自分のことを考えるのではなく、自分よりも他人を救いたいという心を起こすべきだと説かれます。つまり、さとり、救いを求めようとする心を意味した「菩提心」は、本質的に改められて、「自未得度先度の心」へと高められているわけであります。

この生き方は、正にロイさんが「自分本位の心を捨て、世のため人のため、すべてのもののために尽くす」とご理解なさっている通りであります。
私たちが一般社会の慣習の中で生きていく上で、この教えを、厳格に徹底して実践することは、ロイさんのお言葉を借りれば、「実は途方もなく大変なこと」であり、非常に難しい側面があるのかも知れません。

しかしながら、この「自未得度先度の心を発すべし」という教えを学び、誓いを立て、この教えの本質を深く考え、受けとめながら、日々の生活の中に活かし、至らざる部分もあることを自覚し反省しながら、少しでも仏さまの教えに近付いてまいりたいと、慎ましく生きていく。この様に心懸けていただく事自体が非常に重要な第一歩なのであり、こうした生き方、人間像を、私たちに示して下さっているのではないかと思います。 

 

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