迷える中年ライターが『修証義』を書き写してみた ~曹洞宗のお経を一般人が読むと?(第4章・第20節)~


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初めて触れる『修証義しゅしょうぎ』の本文を読み、鉛筆を手に書き写し、また現代語訳を読む中で感じた事を率直に語っていきます。第20回は、第4章「発願利生」の第20節について。

honbun第20節 「衆生を度し衆生を利益しゅじょう ど しゅじょう りやくするもあり」

■ライターはこう思いました

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ライター 渡辺ロイさん

今節の内容は、こうです。
菩提心を発する(仏の心を持ち続ける)ことができたなら、それ自体が修行をしていることになるよ、と最初に言っています。
前節の禅僧からのお返事で、迷える中年ライターの菩提心が出にくいのは、煩悩がつっかかっていて出にくいのでは、と諭されています。いや、まったくもってその通り。
なので、菩提心を発することで、そこからの人生がきちんと修行になる(常に煩悩を取り払う行為自体が修行になる)、というのもわかります。
そして、これまでどんな人生を送ってきていたとしても、これから再出発なさい、すでに仏と同じような境地に至っているのなら、その功徳を他の人たちのために使いなさい、と続きます。

ここまでで語られていることを、要約したようにも思える内容です。
でも、この節で語っているのは「スタート設定とゴール設定なのでは?」というのがライターの最初の感想でした。
そう読むことで、実はちょっとだけ引っかかっていた、いわば勝手に自分の中で宿題にしていた部分がわかったような気がするのです。

その宿題とは、第18節で出てきた「自未得度先度佗」を軽くスルーしていたということです。
「自未得度先度佗」の意味は、まず自分のことを考えるのではなく、自分よりも他人を救いたいと思うこと、です。
そこでは、「それが多くの人にとっては難しいのだよなあ」というような触れ方しかしていませんでした。

なぜ軽くスルーしたかといえば、優先順位として「自分よりも他人」というのをメインコンセプトに置くことが、そうはいってもあまり現実的ではないな、と思ったからです。
自分が一番、自分が得をすればいい、という強固なワガママを主軸に暮らしている人はそれほど多くないと思います。でも、自分よりもまず他人、と考えられる人も、やはりとても少ないはず。できれば、その真ん中でなんとかやっていけないかなあ、と考えてしまったのです。

そう思っていて読み進めること2節。
「スタート設定とゴール設定」という読み方ができたことで、少なくとも俗人であるこのライターには、すとんと腹落ちすることに至ったのです。
どういうことか。

「スタート設定」は、わかりやすいですよね。
それまでどんな人生を送ってきたとしても、ここから再スタートしなさいと説くのですから、手遅れというものはない、と言っています。つまり、いつでもスタートできるという設定です。ありがたい。
そして「ゴール設定」。
仏と同じような境地に達しているのかどうかがゴールではない。修行を積んだ人こそ、他の人にその恩恵を与えなければならないという、再度のスタート設定、新たなゴール設定がなされているのです。

そういう考え方だと捉えられれば、大変わかりやすい。
菩提心を発すること自体がなかなか難しい私たちも、そう願いながら人生を送ることで、第2のスタートも同時に切れていると考えることができます。

修行はゴールへと向かう近道ではなく、充実した人生を送るという修行自体が、有意義だということです。
ここで終わりだというゴールはないよ、と明言されつつも、でもがっかりさせない。
「修証義」恐るべし、と思ったのでした。

 

■禅僧がライターへこう応えました

ロイさんこんにちは。

『修証義』第4章「発願利生」第20節へのコラム拝見いたしました。
『修証義』後半の第4章・第5章のポイントは、「菩提心」にあります。「第3章 受戒入位」の後半で受戒の結果、その人は菩提心を発すとされます。そして、その後は菩提心を発した人が、どのように生きるべきなのかが説かれているのです。

その点、第4章第20節は、それなりに衝撃的な内容を語っています。
「菩提心」には「仏の悟りを目指す心」という意味があります。仏の悟りを目指すわけですから、その後は当然、仏になることを目標にしているはずなのに、本節では「設い仏に成るべき功徳熟して円満すべしというとも、尚お廻らして衆生の成仏得道に回向するなり、或は無量劫行いて衆生を先に度して自からは終に仏に成らず、但し衆生を度し衆生を利益するもあり」と説かれ、仏になれるほどの功徳が集まったとしても、その功徳を更に、迷える人々のために巡らし、自分では使わないといっているのです。功徳を自分には使わないため、結果として、自分はついに仏になることもないとされているのです。

しかし、そうなると、『修証義』「第1章・第1節」で「生死の中に仏あれば生死なし」とし、仏になれば生死の苦しみから逃れられるとしていたのに、逃れられないではないか?と思う人も出てきそうです。そこで、もう少し『修証義』第1節に立ち返ると、「但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし」とされています。迷える人々の最初は、生死に苦しむ状態ですが、それがそのまま仏陀の理想の境地である涅槃にすべきだとされているわけです。ここから分かることは、我々の迷える人生そのものが、実は仏の生き方になるということです。

その仏にふさわしい生き方こそが、菩提心を発し、自らのためではなくて、他の人のために生きることであると、「第四章」では説いていることになります。また、それを「自未得度先度他」ともいいます。ロイさんの言い方ではスタートとゴールという2つを使って説明されているわけですが、スタートからゴールを目指す生き方を「修行」とすれば、ゴールは「証悟(悟り)」です。その両方について説くのが『修証義』ですから、ご指摘いただいたことは、まさしくこのテキストの本来のあり方に改めて立ち返ったものだといえましょう。

 

~ 「迷える中年ライターが『修証義』を書き写してみた」バックナンバー ~

『修証義』についての詳しい説明はこちら


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