【連載レポート】人口減少に直面する寺院 ②


【連載レポート】人口減少に直面する寺院
 ~追加調査:奥能登の寺院活動を見聞して~ 第2回

曹洞宗広報委員 平子泰弘

はじめに
過疎問題の現状把握や対策を模索するために実施された、超宗派による「能登地域寺院調査」の調査研究を受け、曹洞宗においても独自に現地の追加調査を行うべく、能登半島の先端に近い石川県珠洲市地域のご寺院さまにお話を伺いました。
今回の聞き取りの概要は、下記のとおりです。

日時:平成30年3月14日~16日
場所:珠洲市 曹洞宗寺院1ヶ寺、臨済宗国泰寺派寺院1ヶ寺、日蓮宗寺院1ヶ寺

前回の報告に引き続き、今回は過疎化や葬儀の形態の変化を受け、対応を模索している寺院の現状を報告します。
(第1回はコチラ


変化する葬儀のなかで
葬儀の変化について七尾市調査では、僧侶1人での執行や「家族葬」の出現などが新たな問題として見聞できましたが、珠洲においては、五導師もしくは三導師による執行が維持されていて、式執行の面においては大きな変化は無いようでした。
しかし、葬儀を巡る周辺の環境は変化を見せており、民間の葬儀用ホールが開設されるに従って、ここ1~2年であっという間に自宅での葬儀から、すべてホールでの葬儀に移行してしまったといいます。葬儀ホール利用は便利性もあるようですが、それにも増して、これまで葬儀の担い手であった地域住民のマンパワーの減少などが背景にあるようです。

こうした変化はこれまでの地域の習慣を変えつつあります。例えば、村落内で他宗派檀信徒の葬儀の際にもお参りをして諷経をあげる「村諷経」という習慣は、自然と消えつつあるそうです。また娘の嫁ぎ先の葬儀の際に、こちらの菩提寺住職に供養をお願いする「諷経」の習慣も行われず、形式や名称のみが残るようになりつつあるといいます。
式執行における僧侶の人数についても、これまでは三導師、五導師が当然のものとして行われてきていましたが、喪家から1人導師の問い合わせも見られるようになり、「最低三導師でお願いします」と寺院側が頼んでいる現状をお聞きしました。その背景には「都市部などでの葬儀の形態が影響している」との意見や、「遠方に出ている息子世代に、親から仏事についての伝承がされておらず、寺との付き合い方が分かっていない」との声もありました。葬儀のことだけでなく寺との付き合い方が伝わらず、寺院行事へのお手伝いの減少なども見られ、信心離れ、寺離れを感じているようです。

各寺院の檀信徒については、その2~3割ほどが金沢市付近や東京、大阪などに移り住んでいるようであり、日常的な寺院とのつながりが持ちづらい状況にあります。しかし、寺報などの送付により寺院活動のお知らせを行ったり、年に1回ほど離郷檀信徒を訪問して供養などを行い、つながりを維持する努力が見られます。しかし、檀信徒の世代が移り変わるに従い、寺院とのつながりに変化も見られ、例えば、金沢あたりに他出した檀信徒からは親御さんの死去の連絡が寺になく、葬儀も菩提寺以外で済まされてしまうという例を耳にしました。日頃からの接点を持ちにくいことがこうした事例を起こしてしまっているといえます。

昨今、仏教行事への参加や寺との関わりが薄い状況のなかで、葬儀の場は多くの檀信徒や縁者が集う場であり、「最大の仏縁」の場になっている、との意見が聞かれました。だからこそ、そこではできる限りに説法を行い、教化をしているとの取り組みもお聞きしました。また、地域独自の信仰の習慣なども大事にしていきたいという意見もありました。葬儀の形態が変わりゆくなかで、檀信徒とのつながりや、地域のつながりをいかに保っていくか、そしてそうした結節点を如何に活かしていくかが課題としてみえてくるお話しでした。


宗教者としての自覚、教化者としての研鑽を
今回訪問させていただいた寺院はいずれも、年間の各行事を従来通り継続させていました。また、新たな取り組みとして講演会やコンサートなど、寺院を利用しての多方面での催しの実施や、寺院を通して地域の活性化を考えていこうとする取り組み案などをお聞きすることができました。

また、この能登地域においては法要に際してお膳(お食事)を準備して法要後に設斎を催す「お講」が行われており、檀信徒が各地区順番に担当するのがよく見られる形態のようでした。こうしたお講の実施には女性を主としたお手伝いが不可欠であり、近年ではその協力が難しくなってきているとの意見をいくつもお聞きしました。こうしたお手伝いは、単なる労働ではなく、寺院とのつながり、檀信徒同士のつながりを密にするものであり、寺院行事への理解を深めたり、信仰の深化や寺院護持への思いの強化につながっていると考えられます。
このように、従来からの行事の継続や新たな取り組みへの思いなどがあるなかで、現状それを支えているのは、問題意識を強く持つ住職や寺族であり、総代・世話人を中心にして高齢層の檀信徒の存在であると感じます。

今回、世話人さま方の声を聞くなかで、先に紹介したように、地元を離れてしまった他出者や子ども世代に、どのような方法・手段でアプローチをすれば良いのか、いくら思いが強くとも、なかなか手立てがない、というのが正直な思いのようでした。
「寺に来る機会がない」、「だから、余計に寺への思い入れが弱くなっている」、「お金がかかるから一周忌もやらない」、「新興宗教に比べると伝統仏教はまったく何もやっていない」などの声が聞かれました。
先に述べたように“寺との付き合い方がわからない”というだけでなく、檀信徒にとって寺院(菩提寺)の存在の意味が不明になってしまっていることを感じます。親子間でのこうした継承が薄れつつあるこれからの時代においては、寺院の存在意義を説いていくことと、それを実感していってもらうことの必要性を考えます。このままいけば「私たちの世代は大丈夫だが、遠くに出ている若い世代になるとどうなるかわからない」という総代さんの言葉は、現実味を帯びてくるように思えました。
そうした将来への不安に対して、住職や寺族が強い危機意識を持つことが求められていくのだろうと考えます。今回の調査寺院は、住職や寺族がこれからの寺院を思い、実際に取り組みを試行錯誤しておられたり、あるいは世話人さんと共にこれからの寺院の活動を考えていくという段階にあったりと、前向きな姿勢が感じられました。

一方で、従来の寺檀関係や寺院について、漫然としていて「宗教者としての自覚が少ないのではないか?」、「いわば胡座をかいてしまっている寺院や住職が存在する」との批判の声がありました。例えば、「通夜や葬儀の場であれば、故人をよく知る宗教者として、悲しみの中にある遺族に何を説くべきであるか?」をよくよく考えて臨むべきであるし、「葬儀で行う観音懺法や施食はどのような意味のある法要なのか?」を説くべきである、などの意見をいただきました。地域において、こうした危機意識を持たない“胡座をかいてしてまっている”僧侶の存在は、その寺の評判だけでなく、仏教界全般・寺院全般への評価となりかねない、との厳しい声もありました。
一人一人の住職が宗教者としての意識を持ち、寺院が今後置かれる状況への強い危機意識を持つことが必要ですが、それだけで現場を変えていく力とするのは難しいことも、今回の調査で感じました。現場を変えるには、地域や教団、仏教界全体で、宗教者としての自覚を再確認する取り組みを行い、必要とされる教化者としての研鑽を共働して積んでいくことが、必要であろうと考えます。また、住職一人の力だけに頼るのではなく、組寺や教区、地域仏教会などのつながりを活用し、問題・課題の共有を行い、新たな取り組みへ挑戦することで、地域のなかで持続可能な生きた活動につながっていくように感じます。


おわりに
今回、お話しをお聞きした各寺院はいずれも、伝統的な行事を継続されていて、また現代の状況の変化に応じた取り組みを行いたいという姿勢をお持ちでした。能登半島のほぼ中央の七尾市と同様に、他出子が増えてきているなどの共通点と、葬儀などではまだ従来の形式が維持されているなど、違いも見えてきました。

今後、地域の慣習などは常に変化にさらされることが考えられます。さらに寺院との付き合い方が分からないという、これまでとは意識の異なる世代へと担い手が移行するなか、人口減少・多死社会において、寺院の持つ役割・意味や、住職の存在意義について論じること(自覚すること)なく、寺院を維持していくのは難しいといえます。宗教者としての自覚の必要性を再確認させられる調査となりました。