迷える中年ライターが『修証義』を書き写してみた ~曹洞宗のお経を一般人が読むと?(第5章・第27節)~


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初めて触れる『修証義しゅしょうぎ』の本文を読み、鉛筆を手に書き写し、また現代語訳を読む中で感じた事を率直に語っていきます。第27回は、第5章「行持報恩」の第27節について。
honbun第27節 「正法に逢う 今日の吾等を願しょうぼう お  こんにち  われら  ねごうべし

■ライターはこう思いました

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ライター 渡辺ロイさん

シンプルでありながら、門外漢にとってはなかなかに難しいことが語られているこの節。
何が難しいのかといえば、仏法をきちんと信じ、受け入れることを前提としての冒頭の一文です。
それは「静かに憶(おも)うべし」の部分。

なんだ簡単じゃないか、と言わないでもらいたいのです。
「憶う」は、ぼんやりと心に浮かぶ思考というよりは、もう少し積極的に、意思を伴って使われているように感じます。記憶、追憶などの単語に使われる漢字ですから。もちろん、「思う」が一般に使われ始めた時期よりも古い頃からのものですから、そこまで厳密ではないかもしれません。しかし、強く心に留め置いたり、ぬぐい去れないくらいに強く去来する思いが「憶い」に込められたイメージがあります。
つまり前述の一文は、静かにしかし強く思いを巡らせる、ということです。

これがとても難しいことなのではないか、と感じるのが最近の中年ライターです。
このコラムを書いているのは、世間が師走と呼び習わす年末の時期です。高位の仏僧ですら走るのですから(当て字という説もありますが)、一介のライターは駆けずり回っています。ちょっと無理かと思うようなスケジュールで、仕事をこなしています。
普段は周囲の人たちがみんな「自分よりもよっぽど仕事ができる人たち」に見えている温和な私も、せわしない時には「どうしてそんなこともわからないんだ」となります。
これは心理学的にいうと、怒りに起因するファイト反応というようです。なにかしらの目的を阻害されると、そこに怒りが湧き、心身が戦闘モードになるそうなのです。渋滞でイライラしちゃうのも同じ反応だといいます。
つまり、人は周囲の環境で簡単に「静かに憶う」ことができなくなるということです。
だからこそ、「静かに憶う」ことは重要で、簡単なことではない、といえます。

後半では、仏法という正しい法を教えてくれる師匠に出会ったら、出自や外見を比較したりするな、といっています。さらに「そんなこといっても、あんたは法を完璧に実現できていないじゃないか!」と、その行動について揚げ足をとるな、ともいっています。
仏法を尊重するスタンスを語っていながら、多くの人が同じように感じる心の動きを諫めています。「今度の上司、システムには強いんだろうけど、インド人で日本語が下手なんだぜ」とか、「企画書のダメ出しだけは立派で、でも自分じゃ営業できないくせにさ」とか、実生活でも教わる側がその大事な部分ではないところをあげつらって、悪口を言いがちです。っていうか、身に覚えがあります。ああ、耳が痛いです。

心理学者によれば、湧き起こる怒りや対立の感情は、心の他の部分に焦点をずらし、なだめるしかないのだといいます。もしかしたら、それが仏法を「信じる」という行為なのかもしれない、そう感じました。
信じるという行為は、感情に似ているのかもしれません。自然と湧き出し、よろしくない他の感情を引き受けてくれる大事なゾーンにある感情。それ(怒り/対立)はそれとして、仏法は信じられるしなあ、となだめることができるのかもしれません。

自分のよろしくない感情をそのままにしないためにも、師の教えや日々の礼拝を尊重する。そんなことがこの節の末尾に記されています。
今回もやはりとてもロジカルで、さらりと読み飛ばせない「修証義」だと再確認した次第でございます。

 

■禅僧がライターへこう応えました

ロイさんこんにちは。
「静かに憶うべし」の個所、ロイさんらしい面白い切り口と拝見しました。
確かに、ロイさんだけでなく生身の人間として社会生活をしている私たちは皆、周囲の環境や自分の置かれた状況で、感情や思考が大きく揺さぶられます。そして大切な事ほど、ざわついた日常にかき消されて見えにくくなってしまうものです。そんな時、自分の精神力だけで気持ちをコントロールしようとしてもうまくはいきません。まずは一旦立ち止まり、環境を調えて落ち着く時間を持つ。そのための方法としても、曹洞宗では坐禅をお勧めしているのです。イライラや焦りを抱えて仕事に向かうよりも、一度坐禅で心を落ち着けてから仕事に向かった方が、結果として効率的かもしれません。忙しいときこそ、坐禅ですよ。

また「信じるという行為が感情に似ている」というのも、新鮮な表現と感じました。
確かに、喜怒哀楽という感情は私たちの心と行動を大きく支配する事が多いのですが、それはとても危険なことでもあります。その感情を緩衝するもの、もしくは包摂するものが、「信じる」ことなのかもしれないと、ロイさんの文を読んで感じました。

仏教はとてもロジカルで「宗教ではなく哲学や科学だ」などと評されることもあり、それも仏教の一面ではあるのですが、一方でやはり「主体的に信じる」という行為を前提し、また力にしているというのも事実だと思います。

 

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