【連続インタビュー】仏教の社会的役割を捉え直す②

2019.05.24

いよいよ、連続インタビュー「仏教の社会的役割を捉え直す」がスタートします。
最初にご登場いただくのは宗教学者の島薗進先生(上智大学神学部特任教授、グリーフケア研究所所長、東京大学名誉教授)です。日本近代宗教史、死生学などがご専門で、多数の著書、論文などの業績があり、フィールドワークも積極的に行っています。現代社会において果たすべき宗教の役割について強い関心をもたれ、ご著書『日本仏教の社会倫理―「正法」理念から考える』(岩波書店)では、近代的な宗教観のもとで見落とされがちであった日本仏教の倫理性・社会性の側面が現代社会の中で再び顕わになりつつある状況を論じています。
本誌「一茎草」のご執筆や曹洞宗総合研究センター講師、研究プロジェクトなどへのご参画など、かねてより曹洞宗とのご縁もいただいています。今回のインタビューでは主に「3・11から仏教者が問われたもの」「これからの僧侶像とスピリチュアリティ」「社会苦にどう向き合うか」について語っていただきました。今回は、その第1回目として「3・11から仏教者が問われたもの」についてお届けします。

聞き手・構成 (公社)シャンティ国際ボランティア会専門アドバイザー・曹洞宗総合研究センター講師 大菅俊幸

島薗進氏に聞く(第1回)3・11から仏教者が問われたもの

大菅俊幸氏

●日本仏教の現状
――少子高齢化、過疎化、跡継ぎ不足などでお寺の存続が危ぶまれ、日本仏教が転換期を迎えていることは多くの人が感じているところだと思います。まずは日本仏教の現状について感じておられるところを聞かせていただけますか。
島薗 17世紀以来の日本の檀家制度を考えると、およそ400年たっているわけです。織田信長や豊臣秀吉は一面で仏教を抑えていましたが、一向一揆が起きたり、キリシタンが入ってきたことで危機感を覚え、社会の安定のために仏教を優遇しつつ布教を抑制したのです。その後、徳川幕府になって檀家制度が生まれ、仏教はそれに適応しました。そして明治維新になって神仏分離と廃仏毀釈という厳しい面もありましたが、ともかく国の安定のために仏教が協力するということで檀家制度が今日まで続いてきたわけです。
ところが現在、あまりに都市化が激しく、地方が軽視されて、人口減少も進んでいるという現実があって、お寺はこれまでどおりではいられなくなってきました。いよいよ賞味期限切れがきているきらいを感じます。
ただ、檀家制度の長所というものが見えなくなっている面もあるのではないかと思います。たとえば日本全国、津々浦々までお寺があります。比較的規模が小さなお寺があります。家の中までお仏壇がある。こんな国は世界中にないと思います。それほどまで仏教が隅々まで浸透したということですね。
でも、そのために、人々が抱えている困難に近づき、苦の現場に近づいていくという意欲がやや抑えられた感もあるように思います。江戸時代に新寺建立の禁止ということがありましたね。新しいお寺を建ててはいけない。それぞれのお寺が築いてきた勢力を維持し、新しい勢力の拡張は認めない。その代わり住民の戸籍管理のことは任せる、ということでした。
そういうことで、檀家制度の長所、短所の両面があると思います。その両面を考える必要があると思うのです。これまで、お寺は人々の苦しみに対する活動に取り組んでいなかったわけではありませんが、江戸時代になって、山岳信仰などの神仏習合的な民俗宗教の講とか、伝統仏教以外の宗教勢力が勢力を伸ばしました。さらに近代、現代になると今度は新宗教というものが台頭してきて、人々の苦しみや悩みに近づき、伝統仏教がそれに応じるという面が弱まっていったと思います。そこが問われるようになってきたと思うのです。 


――明治時代になって、仏教の社会倫理的な面は希薄になっていったのでしょうか。
島薗 檀家制度のもと、檀家の世話をして檀家集団との結合を広めることで十分に役割は果たせるのだという傾向がありましたが、それだけではなかったと思います。
明治維新のときも、「今こそ信徒集団、一般の人たちと共同していかなければならない」という動きがありました。「僧俗共同で新たな社会をめざす変革のときになったわけだから、今こそ仏教の役割があるのだ。今までの檀家制度という枠組みを超えて在家を巻きこんで動かなければならない」という考え方はあったんですね。曹洞宗に関係する人としては大内青巒という人もいましたし、宗派を超えた在家の団体が沢山出てきました。越後には大道長安という人がいて、観音信仰を掲げて在家の人々を巻き込んだ活動を行いました。孤児の教育や囚人の教誨にもあたって、貧困や疫病に悩む人々を安心に導くなど、新しい宗教のあり方をめざしていたと思います。
明治時代にも、孤児や貧しい子どもたちの世話をお寺が支援してお寺を場所として取り組んでいる例があります。刑務所から出て来た人たちを助けたり、貧しい人たちの医療の世話をするなど、かなりお寺が関わっているんですね。
それが大正、昭和の時代になると、全体主義化して社会福祉的な活動は国が行うようになって、国に任せればいいのだという体制になっていきました。ですから、戦前に蓄えてきた仏教界の福祉的な活動が戦後の現在までつながっていないという面があると思います。江戸時代から明治、大正、昭和へと、色々な要因が重なって社会倫理的な面が希薄になっていったと感じています。
たとえば日本福祉大学などは、日蓮宗の法音寺という寺院に属する信仰集団が中心になって設立された大学なのです。そもそも孤児やハンセン病患者の救済活動に取り組む在家中心の団体があって、その蓄積をもとに今度は福祉関係の大学設立に乗り出すということになって、その運営を福祉の専門家に委ねることにしたのですが、そのために、それまでの仏教界の蓄積が途切れてしまうことになってしまったのです。このように戦後になって宗教と社会的助け合いの領域が切り離されてしまった感があります。
戦時中にしだいに保険制度が整っていって「国民皆保険」という制度が整うのは戦後ですね。その後、社会主義に対抗しなくてはならなかった冷戦時代も社会福祉を大事にする時代でした。1980年代になって新自由主義が台頭して、小さな政府ということで、できるだけ福祉予算は削る方向になっていきました。そういう流れの中で民間の力をもう一度見直す時代になっていると思います。
そういう視点から振り返ると、古代の行基以来、仏教はそもそも社会の問題に取り組み、そこに正法を甦らせよう、広めようとしてきたのではないか、それも仏教の本来のあり方ではないか、という認識も必要ではないでしょうか。そのことが大きく思い起こされたのが東日本大震災だったのではないかと思います。

島薗進氏

――なるほど。私も何度も東北の被災地に足を運びましたが、とくに津波で身近な人を失った方々は、お坊さんに対する期待感がとても強いことを感じました。他の人には相談できない宗教的な内容についてお坊さんに相談していましたね。たしかに僧侶という存在が再認識されていたのではないかと思います。
島薗 葬祭仏教と言われますね。人が死に直面したときに仏教が必要とされる。亡くなった人を思うとき、仏教の行事が必要とされる。日本仏教が人々の求めに応じて重要な役割を果たしてきたということでもあります。
葬祭は本来仏教徒がやるものではなかったのだと論じる人がいるかもしれませんが、人々が求めて、そこに仏教の力を感じてきたということは事実であって、家族、親族、地域社会の濃厚な共同体と結びついています。そこでこそお寺は重要な役割を果たしてきたわけです。地域社会にとって欠かせない存在でしたね。家族、親族がまとまるときに、お寺との関わりが欠かせない、という関係が、一向一揆の時代あたりから作られてきたわけです。日本のお寺は15世紀から17世紀の時代に盛んに建てられたのですが、そのころから、どんな地域にもお寺があって、地域の人々と密接な関わりをもちながら欠かせないものになっていったわけです。ところが、近年、お寺の基盤となる親族コミュニティや地域コミュニティがどんどん希薄になってきて、これまでのようにコミュニティとの結びつきにおいて役割を果たす、ということができなくなってきたのだと思います。

●大震災は仏教の再認識を促した
――東日本大震災が仏教再認識の大きな呼びかけになったのではないか、というお話でしたが、そのことについてもう少し聞かせていただけますか。
島薗 仏教の再認識ということが、なぜ東日本大震災の後に起きたのかということですね。そのことを考えてみると、1995年にも阪神・淡路大震災があったわけですが、神戸や大阪などの大都市はコミュニティのつながりが薄く、そのときは僧侶の姿が見えにくかったということがあると思います。
しかし、東北という地域には地縁が残っていて、人々をつなぐ僧侶の役割というものがまだ残っています。これまで僧侶やお寺はそういう役割を果たしてきたのだと気づいたと思うのです。あの大震災は地域の重要性というものを改めて想い起こしたときでもあったと思います。

――たしかに避難所としてお寺を開放してくださるところが多かったですね。私どもシャンティ国際ボランティア会(以下シャンティ)も活動拠点として曹洞宗のお寺の境内を使わせていただきました。避難所としてお寺を開放した例は、私どもの調べでは約80ヵ寺。実際はもっとあったのだと思います。
島薗 この数年間、都市地域で「子ども食堂」という活動が広まってきました。地域の子どもや大人に無料や安価で食事を提供する取り組みで、一般市民が自発的に行うようになりました。
貧困家庭や孤食の子どもに食事を提供して、安心してほしいという願いから始まったものです。その中の数パーセントですが、お寺という場所で行っているのです。
なぜこれができたのかというと、人々が益々孤立して手助けを必要としている人がいるのにできていない。そして、人と人のつながりこそ生きがいのもとになっていくのだ、という認識が高まってきたからです。今では2,000件を超える数まで広がってきました。震災後にわかってきたお寺の役割というものをこのような活動につなげてもいいような気がします。
明治時代、お寺が運営していた孤児院であるとか、様々な社会福祉施設が、幼稚園として残ってきたようなところがあります。
曹洞宗関係の方々では、秋田県の藤里町の袴田俊英さんらが取り組んでいる活動がありますね。自死対策、高齢者の孤立の対策、自死者を減らすための活動として「よってたもれ」というカフェもできました。僧侶と在家の人が協力して取り組んでいます。仏教の伝統からみると自然な展開ではないでしょうか。それから、四国で不登校や非行の青少年のことに取り組んでいる野田大燈さんの活動。一般の家庭ではうまく収まらない子どもたちのための活動であり、アジール(避難所)的でもあります。そういう芽がある。それから、NPOを立ち上げて自死防止に取り組んでいる篠原鋭一さんのような活動もあり、国際協力や災害支援に取り組んでいるシャンティもある。従来の葬祭仏教の枠を広げていくような、そういう活動は、震災後のカフェ・デ・モンク(宗教者が軽トラックに喫茶店の道具一式を積み込んで被災地を巡る「移動傾聴喫茶」)の活動にもつながっているように思います。僧侶は地域社会で重要な役割を果たしてきましたが、新しい役割を求められているのだと思います。


――今回、支援活動に関わって心強く思ったことがあります。静岡県浜松市の若いお坊さんたちと一緒に活動したのですが、浜松一帯はやがて南海トラフ地震が起きるであろうといわれている地域です。そのお坊さんたちは「いざ、わが地域に地震や津波がきたときどうしたらいいか」と心配になったようです。自発的に気仙沼の寺をすべてまわって、震災時にお寺として何が必要だったか、聞き取りをして、寺院の防災の手引きとしてまとめたのです。やがて冊子(『寺院備災ガイドブック』仏教NGOネットワーク刊)として出版化され、行政にも知られることとなり、地方自治体と提携を結ぶお寺も出てくる、という動きにもつながりました。
島薗 震災後、「宗教者災害支援連絡会(宗援連)」というネットワークが立ち上がりました。被災者や避難者の助けとなることをめざして、多様な情報を突き合わせ、お互いの経験から学び合う、宗教、宗派を超えた宗教者の組織です。宗援連も防災ということを考えてきました。災害が起きた後の支援、つながり、情報を広めるということ。仏教だけでなく、いろいろな宗教が協力しながら地域の防災に協力する。そのために行政に協力する、という関係をつくっています。東京でもいい関係ができてきました。
では防災や災害支援だけなのか、ということですね。災害が起きてどんな人も弱い立場になる。しかし、普段から弱い立場にいる人もいる。その人たちのへの支援と切り離せないのではないか。そういうところに宗教の役割があるということが改めて見えてきています。
東北の災害の後、熊本の地震がありましたね。宗援連もかなり関わって熊本で集会を開いたこともありますが、これまでの経験や蓄積がすごく活かされていました。熊本の僧侶たちが支援した東北の人たちが、今度は熊本に駆けつけてノウハウを伝えているのです。行政が「まだ準備ができていませんからボランティアは早過ぎます」と言っているとき、いち早く駆けつけていましたね。地域を越えたこうしたネットワークというものも宗教界の強みです。行政の方もそのことにだんだん気づいてきています。復興庁の方も、政党もそういうことに積極的になってきています。あとからお話しする臨床宗教師のことも国会で取り上げられましたし、普段からそういう役割が重要なんだという認識が広まってきていると思います。

――私は阪神・淡路大震災のときにも現地入りして活動したことがあるのですが、そのときとくらべて、お坊さんの災害支援に対する姿勢には隔世の感があります。体験や知恵が蓄積されて、支え合いの全国的な連鎖が生まれていると思います。
島薗 阪神・淡路のときは、「僧侶はそういうことをしなくてもいいんだ」と思っている人たちがいましたね。ボランティアは誰にでもできることなんだから、僧侶は僧侶としてやる特別なことがあるんだから、という感覚だったと思います。でも、「それは違うのではないか」という認識が若い僧侶たちの中から生まれてきたのではないかと思います。曹洞宗青年会なども、能登沖地震災害のあたりから、總持寺祖院が被害にあったということもあってとくに熱心にボランティアに出かけるようになって、やはり支援というのは、一人ひとりに接するボランティアとか傾聴活動などが大事なんだということに気づかれて取り組むようになったのではないでしょうか。

(次回は6月7日配信予定)

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