迷える中年ライターが『修証義』を書き写してみた ~曹洞宗のお経を一般人が読むと?(第5章・第31節)~


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初めて触れる『修証義しゅしょうぎ』の本文を読み、鉛筆を手に書き写し、また現代語訳を読む中で感じた事を率直に語っていきます。第31回は、第5章「行持報恩」の第31節について。
honbun第31節 「諸仏とは釈迦牟尼仏しょぶつ  しゃかむにぶつなり」

■ライターはこう思いました

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ライター 渡辺ロイさん

さて『修証義』も最終節。

ここまで長いようで短い道のりでした。

『修証義』が語ってきた仏教(禅)の考え方に、膝を打ったり唸ったり。はたまた「それは難しすぎるよう」と弱音を吐いてみたり、思い返せば結構忙しく頭を働かせてきたように思えます。

この節で語っていることの中心は、タイトルとして抽出されている「諸仏とは釈迦牟尼仏なり」ということ。現代語訳では、仏の教えを実践することで、釈迦牟尼仏(仏教の開祖であるお釈迦様)に至ることができる。至ることができるというよりも、そういう心の状態になれれば、それがすなわち釈迦牟尼仏だ(即心是仏)、といっています。

随分と概念的な言い回しです。

『修証義』ではここまで、いろいろなことを提示してきました。

人の価値については、生まれ血筋よりも、人はその行いの尊さにおいて価値を計られ、その結果はすぐには出ないかもしれない(第5節「善悪の報に三時あり」)。
仏教の恩恵を受けるには、どんな人でもいいし、いつスタートをしてもいい(第7節「仏祖憐れみの余り広大の慈門を開き置けり」)。 

そうやって日常的な心のあり方を、ハードルをぐっと下げていたかと思えば、守るべき「戒」を我が身に染み込ませ、覚悟を決めてことに臨まなくてはならない(第16節「衆生仏戒を受くれば」)とか。人のことを思うところから発する菩提心の重要性を語りながら、幼い少女であってもその菩提心を発すれば導師たりえる(第19節「一切衆生の導師なり」)と、こちらの覚悟や目指す高みの困難さを目の前に置いてみたり。

逐次の心の持ち方についてはいちいち振り返りませんが、『修証義』は仏教(禅)の考えかたの立体的な相貌を、ある意味原寸大(簡単だよ、と嘘くさくハードルを下げることなく)で語ってきたわけです。

そのエンディングで出てきた「諸仏とは釈迦牟尼仏なり」。これはもう、もちろん通り一遍な解釈では済まないわけです。最後には、よくよく学べ、と記していますし。

教えを守りながら、心を仏とするべき考えと行動を実践する。

これはもう、大変なことです。当たり前のことですが、修行です。いつ誰でも始められ、誰にでも恩恵のある教えや考え方も、常に学び続けなければいけませんよ、なのです。

うーん。

近年、多くの人たちは「効率化」というものをありがたく感じ、実践しています。この稿をお読みになっている方も、インターネットの恩恵を受けていますし、インターネットには「検索」という、まさに効率化の権化のような機能がその中心にでんと居座ってます。

まさに今日、「円筒形のクッション、なんていう名称だっけか?」と思い出せなかった言葉も、いくつか検索ワードを入れるだけで「ああそうだ、ボルスタークッションだった!」と解決されました。

ふた昔前なら、なんだっけなんだっけと、数日思い悩んでいたかもしれません。だとすれば、その思い悩んで過ごしたであろう時間は、効率化によって「他に使える時間」として生まれ変わったわけです。効率化によって、時間を手に入れたともいえます。

だとすれば、その生まれた時間をどう過ごすのか。

心のありようによっては釈迦牟尼仏となれる可能性のある私たちは、どう考え行動したらいいのか。

片手にテクノロジーと、そこから生まれた時間をつかんでいるのならば、もう片方の手には、これから進む先について考えるよすがとなる『修証義』を持っていてもいいのかもしれない。

大きな宿題を負わされたような、なんとなく心強いような、そんな気持ちにさせられた最終節なのです。

 

■禅僧がライターへこう応えました

最終節、「釈迦牟尼仏と成るなり」が、『修証義』全体を通じた最大のテーマで、また『修証義』の何より大きな魅力だと思います。

人間としてのいのちを受けた私たちは、懺悔によって身と心とを浄め、仏の戒を受けることによって仏の仲間入りをし、「仏らしい行い」としての四摂法を実践していくとき、私たち自身が「お釈迦さまになる」事が出来るのだと『修証義』は明確に示します。この圧倒的なダイナミックさに、私は涙が出るほど感動します。

キリスト教やイスラム教などを含め、世界には様々な宗教があります。また同じ仏教でも多くの宗派が存在し、それぞれに信仰の対象があります。しかしその中で、自分が信仰する存在そのものに「成る」事が出来ると説く宗教は一体どれほどあるのでしょうか。「褒めてくれる」「喜んでくれる」「約束してくれる」「導いてくれる」という存在ではなく、「私がそのものになれる」のが、『修証義』の「仏」そして「お釈迦さま」の位置づけなのです。

そして何より、「誰でも」「いつでも」「自分の心と行いによって」自由自在になれるというのです。長い修行や特別な才能が必要なのではない、むしろ日常の中にこそ、自らが仏になれるチャンスが溢れていると説くのです。

これは「誰かに憧れる」事と同じと似ています。大好きな先輩や上司、あるいは先生などと同じく、その人に憧れ、生き方を「まねび」続ける時、私自身が憧れの存在そのものになっていける。『修証義』は「みんなでお釈迦さまになっていこう!」と誘ってくれているのです。

迷いや苦しみの多い私たちの人生ですが、『修証義』を人生の道しるべとして手に携える事で、悩みながらも迷わず進んでいけるはずです。自らが仏になれる瞬間を共に楽しみながら、自信を持って、安心して人生を歩んでいきましょう。

 

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