【連続インタビュー】仏教の社会的役割を捉え直す⑤

2019.07.05

今回から、2回にわたって前田伸子先生にお話をうかがいます。
前田先生は、鶴見大学の副学長、歯学部教授(歯学博士)で、口腔微生物学がご専門です。近年、宗教と医療の接点についても熱心に探究され、現在、總持寺と鶴見大学が連携して取り組んでいる「終末期医療を支援する臨床宗教師等の育成事業」の推進役でもあります。今回は、独自の研修として他宗派からも注目されているこの事業の様子を中心にお話をうかがいます。

聞き手・構成 (公社)シャンティ国際ボランティア会専門アドバイザー・曹洞宗総合研究センター講師 大菅俊幸

前田伸子氏に聞く(第1回)コミュニケーション能力を育む

臨床宗教師の育成事業
――總持寺と鶴見大学が連携して臨床宗教師育成事業に取り組んでおられるわけですが、他の大学で行っている研修と異なっているところがあるそうですね。
前田 臨床宗教師とは公共的施設ではたらく宗教者をさしており、そのはたらきは、布教を目的とせず、宗教の違いを超えて、死期が迫った患者さんや遺族への心のケアを行うことにあります。臨床宗教師の育成という取り組みは、東北大学が一番最初に行ったもので、今では、色々な大学が行っています。武蔵野大学、上智大学、高野山大学、愛知学院大学、大正大学、龍谷大学などですね。
ただし總持寺と鶴見大学で行っている「終末期医療を支援する臨床宗教師等の育成事業」は、臨床宗教師の資格を与える、というものではなく、總持寺で修行しているお坊さんたちに、臨床宗教師研修の最初のステップである、コミュニケーションについて学んでもらおうと、そこに特化したものなんです。
2016(平成28)年に「日本臨床宗教師会」が発足して、臨床宗教師というものの条件が整備されて世間からの期待感も高まってきています。この事業に臨床宗教師という名前を使っていいのだろうか、というためらいはありました。近い将来、臨床宗教師を育てる研修事業をやるのであれば、この名前を使っていただいてよろしいのではないですか、と関係の先生方に言っていただいたので、現在の形でやらせていただいています。

――この研修が発足したのは、どんな経緯からだったのですか。
前田 当時、本学の学長だった木村清孝先生が、總持寺と鶴見大学が協働して、真に社会貢献できる事業に取り組みたい、と2009(平成21)年から、ずっと模索されていました。グリーフケアの研究会なども立ち上げていたのです。ちょうど同じ時期に、東日本大震災が起きて、宗教者が期待されていること、やらなければならないことがあるのではないだろうか、という気運が高まりました。そして臨床宗教師というものが誕生したことも知りました。
その後、2013(平成25)年に、本学の大学創立50周年、短期大学部創立60周年事業として、宗教学者、医療関係者、宗教者をシンポジストとしてお迎えして、公開シンポジウム「終末期における医療と宗教の協働化に向けて」を行いました。そこで活発な意見が交わされて、それが大きな後押しになったと思います。こうして大本山總持寺と連携して、修行僧を対象とした「終末期医療を支援する臨床宗教師等の育成事業」を始めることになったのです。
ただ、東北大学などの研修では、講義の他、傾聴実習、ロールプレイ、医療機関での実習なども行われるのですが、この育成事業は、コミュニケーションについて学んでいただくことに特化したかたちで、自己の理解を深めること、傾聴に求められる態度を身につけること。この2つに焦点を合わせています。
――臨床宗教師というものは、3・11を大きなきっかけとして、現代人からの要請に応えるためには、これまでの宗教者のあり方だけでは対応できないことがある、という反省から生まれたものでもあると聞いています。
その意味で、他大学の研修のあり方と異なっているとしても、時代の要請に応えようとするところから始まったわけで、この事業は先駆的なものではないかと私は受けとめております。
前田 ありがとうございます。

●コミュニケーション能力の必要性
――じつは、私自身、東北大学で行っている臨床宗教師研修にオブザーバーとして参加したことがあるんです。グループワークでの対話の訓練や現場での実習などを体験して、本当に貴重な研修だと感じました。そして最後に、受講した感想を皆で語り合ったとき、ほとんどの参加者(宗教者)が語っていたのが、「自分を知ることがこんなに大切だと思っていませんでした」ということでした。そのことが今でも心に残っています。
前田 その参加者のお気持ちがわかるような気がします。コミュニケーションが大事だということは、そもそも私の実感としてあったのです。
もう30年ほど前になりますが、私自身がまだ本学の講師だったころの話になります。学生に講義をするとき、当時、学生が150人近くいたので、150対1で講義をするわけです。しかし、教えるうちに、1人が1人の学生に話をして通じ合っていないのであれば、人数が多くなれば、よけいに通じ合わないのではないかと思うようになり、自分には自分の思っていることを伝えられる能力があるのだろうか、と、とても不安に思ったのです。それで、上智大学のカウンセリング研究所に通って勉強することにしたのです。
当時は1年間の養成課程というものがあって、コミュニケーション能力を磨く様々な演習を体験しました。夏休みや春休みには、上智大学のセミナーハウスで、3泊4日、4泊5日のスクーリングがあって、同じグループの人たちとひたすらグループワークをする、ということを経験しました。受講者は、95%が一般の方で、高校の教師が多かったと思います。あとは看護師さんや私のような大学の教員。その他の5%が宗教者の方でした。牧師さんと浄土宗のご住職もいらっしゃいましたね。
そのときの体験を通して、私は初めて他人の話を聞くことがいかに難しいのか、ということに気づいたのです。他人の話を聞くにあたって、自分がどういう人間であるのか、ということを見つめなければならなくなります。そこで初めて「自分とは何なのか」ということを突き詰めて考えることになったのです。私自身、コミュニケーション能力を磨く中で、最初は、まさか自分のことを突き詰めて考えることに至るとは思っていませんでした。
こうして、1年間学んで、自分がどういう人間か、ということをしっかり認識していないと、他人の話なんて聞くことはできないのだ、ということがわかりました。
ですから今、大菅さんがおっしゃったように、「自分を知ることが大切だということがわかりました」と言った参加者の皆さんの気持ちがよくわかるような気がします。
ただ、コミュニケーション能力と言っても、カウンセリングができるぐらいの能力がなければ医療者にはなれないと思っています。それで、平成17年から本学歯学部で〈医療人間科学〉という科目を立ち上げて、その中心に〈コミュニケーション能力を育てる〉ということをとり入れたわけなんです。
――そうでしたか。まず前田先生ご自身の体験、実感があって、鶴見大学におけるコミュニケーション能力を育てる取り組みへつながったということですね。
前田 そういう体験や下地があったので、その後、臨床宗教師というものが誕生した、ということを聞いて、パッと閃いたんです。医療者にコミュニケーション能力が必須だけれども、なおのこと宗教者にも必要ではないかと思いました。つまり医療者と宗教者は、最も人の心に深く触れていく仕事ですから。
話はそれるかもしれませんが、いわゆるプロフェッション(Profession)といわれるものがありますね。真のプロフェッションは法曹界の方々(つまり弁護士とか裁判官など)と宗教者と医療者の3つの職業のみを含んでいて、いずれも人の心に寄り添って人の心に深く入っていく仕事で、とても重要だとされています。それだけに、きちんと教育しなければならないし、資格を与えなければならないわけです。
ですから、医療者と同じように宗教者にとってもコミュニケーション能力は大事だと思います。それで、私が学んできて、人と接するときに絶対これが大事だと思ったものを、もし修行僧の皆さんにも学んでいただけるなら、きっと違う可能性、違う光が見えてくるのではないかと思ったのです。そのことを当時の学長の木村清孝先生に相談したら、とてもご理解くださり話が進んで、總持寺にもご理解いただき、この事業が始まることになったのです。


●研修をどのように実施しているのか

――そうだったのですね。では、実際に總持寺の修行僧を対象とした臨床宗教師研修がどのように行われているのか、聞かせていただけますか。
前田 昨年までは、まず新到さんたち全員にオリエンテーションを行っていました。そのときに伝えていたことは、コミュニケーションを上手にとれるようになるための演習中心の研修であること。臨床宗教師にはすぐなれないけれども、自坊に戻って、色々な人の話を聞くときに役に立つ、ということ。しっかり話を聞く傾聴の重要性、相手を受け入れる受容の重要性。そのようなことを伝えていました。こうして全員にオリエンテーションを行って、そこからは希望者に受講してもらいました。その年によって新到さんの数は違いますが、平均して25人ぐらいが受講していますね。4月から12月まで、多いときで月に3回、だいたい月に2回行います。

總持寺の修行僧に対する臨床宗教師研修

今年からは、最初に一度、全員に講義を受けていただいた後、演習をすることになりました。まず講義をして、その後、5人か6人のグループに分かれてもらって、「今の講義でどう思いましたか」という話し合いをしてもらいました。スーパーバイザーが1人ずつグループに付き添って、2回行いました。その上で、「続けてやりませんか」と希望をとったのですが、今年は18人が受講したいと申し出てくれました。この9月からは、昨年と同じように、月に2回ぐらいのペースで行いたいと思っています。
テーマは「自己紹介」や「棚経での体験」「修行が進んで感じていること」など、様々です。話し手の話を聞いて、どういう話だったか、その時の感情の流れがどうだったのか、話した人は本当にそういうことを言っていたのかを検証する。そのような研修を繰り返し行います。

研修の成果について
――受講された新到さんたちの反応、感想などはいかがですか。
前田 これまで4回(4年間)やってきましたが、毎回、雰囲気が違います。とても積極的な雰囲気のときもあれば、淡々と取り組んでいるときもあります。しかし、1つ言えることは、どの回の受講者(修行僧)の中にも、必ず数名は、その後、自発的に深く学んで、それを活かして自分で何か始めよう、自坊に戻って何かの活動をやってみようと思われる方がいることです。その後、上智大学の講座で学んだ人がいるということを聞きました。
修行僧といっても、若者ですから、悩んだり苦しんだり、様々なことがあるのだと思います。でも、高校を卒業してすぐの学生とは違い、修行している方はやはり違うなと感じます。ちなみに、演習後の感想について、このように書いてくれています。いくつか紹介します。

「自分が何気なく言ったことを、相手は印象深く感じていたり、他人によってものの見方が違うことを改めて感じた」。
「話し合ったり、時間がたつとともに自分の意見が変わっていくことに気がついた。……話し合っていくうちに誰かの意見に引き寄せられたり、影響を受けて変わっていくところもとても興味深かった」
「普段、いかに自分が会話ごっこをしているか、つくづく感じた。今まで何となく会話をして分かり合えた
気になっていたのだと、分かったし、分かろうとする気持ちはあってもとても難しいものだということに気づいてきた」。
「話したい、聞きたいという気持ちがあれば、だんだんと理解していくことは、難しいことではないように思います」。

コミュニケーションの難しさや奥深さといったものを感じ始めていると思います。こうしてみると、やはり修行
というのは貴重なものだと思います。
ととのえられた環境の中で心身がととのってくる、と言えばいいのでしょうか。一般の若者と違うものを感じま
す。だから、なおのこと、一般の若者と違う何かが自分の中にしっかり根をおろして芽生え、りっぱな宗教者に
なってくださったらありがたいと思います。そのためのお手伝いになればと願っています。さらによい研修になるように、研修の回数とか、集中して学べる機会を作ることなどについて、いつも考えています。
今後の課題になると思いますが、今年で5年目を迎えて、一旦、これまでを振り返る時期がきたのかな、と思っ
ています。この研修を経験して、自坊に戻られた僧侶の皆さんにアンケートをさせていただいて、あのとき学んだことはどうであったか、というお話をうかがって、今までやってきたことを一度、全部まとめて形にしたいと思っています。やりっ放しにしておくというのはよくありませんので。

――修行僧の皆さんは、それぞれ地域に戻って、檀家さんや在家の皆さんの相談にのって差し上げたりするわけ
で、コミュニケーション能力はとても大事になるのだと思います。このような研修は、他宗派を含めて、他では
やっていないのではないでしょうか。
前田 一昨年、仏教心理学会でこの事業のことを発表したときも、会場におられた僧侶の方が、「修行しているお坊さんたちにコミュニケーションを教えているところなどどこにもありません。やっていることに意味があると思います」と言ってくださったので、とても嬉しく思いました。
ゆくゆくは、やはり東北大学や他の大学でやっているような形の研修のようにできればいいなと思っています。
コミュニケーション能力ということだけではなく、必要とされる他の研修も踏まえた上で、臨床宗教師の資格を与えられるような研修にする、ということですね。臨床宗教師は医療機関との連携も必要なので、病院に出かけるためには、医療の最低限のことも知ってもらわなければなりません。その点、本学には歯学部がありますので、初歩的なことは学んでいただくことができます。それに仏教文化研究所があるので、仏教的な素養として生死ということについて学んでいただくことができます。それから、実習を受け入れてくれる医療現場ですね。それが見つかれば実現できるのではないかと思っています。そこまでいくにはなかなか難しい部分もありますが、最終的には、そこまで実現できればと思っています。

――臨床宗教師として活動しているあるお坊さんから聞いたのですが、臨床宗教師のニーズは高いものがあるようです。とくに医療関係者、福祉、介護関係者など、日常において、人の生死に向き合っている方々から、「宗教者にこういう関わり方をしてもらえたら、亡くなる人も、周りの人も、豊かな最期を迎えられるのではないでしょうか」という声をいただいているそうです。
前田 キリスト教ではチャプレン(教会に属さず病院などの現場で勤務する聖職者)という形で神父さんや牧師さんたちが病院などで活動するということが、ごく自然に行われているようです。仏教では台湾がそうらしいですね。とくに多くの女性の仏教者が、チャプレンと同じようなはたらきをされているそうです。病院の中に仏壇があって、いつでも患者さんとか、患者さんの家族に寄り添う。そういうことがごく自然に行われているそうです。
そういうことを聞くと、日本でもやれないわけがないように思えます。
ただ、日本ではお坊さんの姿を見るとお葬式というイメージがあって、抵抗があるのかもしれません。でも、臨床宗教師という仕事が徐々に広まって確立していけば、そういう形で医療の現場に出かけて行って、医療者とご一緒に様々なサポートができるようになるのではないでしょうか。とくに終末期は、いのちを助けるだけではなくて、体だけではなくて、心の安らぎも必要とされてくると思うので、そういう現場で、医療者と仏教者が連携できるということは重要だと思います。
――そのような時が早く来るといいですね。 

(次回は7月19日配信予定)

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