【連続インタビュー】仏教の社会的役割を捉え直す⑦


今回から3回にわたって鈴鹿大学の川又俊則先生にお話をうかがいます。
川又先生は、同大学の副学長、教授で、こども教育学部の学部長でもあります。専門は社会学で、様々な仏教教団や寺院、キリスト教会の調査にも携わり、それらの幅広い知見をもとに人口減少時代における宗教の役割について精力的に提言されています。曹洞宗とのご縁も深く、曹洞宗宗勢総合調査や曹洞宗檀信徒意識調査の委員としてもご尽力いただいております。共編著として『人口減少社会と寺院』(法蔵館、2016年)、『近現代日本の宗教変動』(ハーベスト社、2016年)『基礎ゼミ宗教学』(世界思想社、2018年)など。その他多数の論文があります。
今回は、第1回目として「人生100年時代と仏教」というテーマでお話しいただきます。

聞き手・構成 (公社)シャンティ国際ボランティア会専門アドバイザー・曹洞宗総合研究センター講師 大菅俊幸

川又俊則氏に聞く(第1回)「人生100年時代」と仏教

鈴鹿大学副学長 川又俊則先生

●今、いかなるときか――人口減少化への対応の遅れ
――先生は、曹洞宗はじめ様々な教団の宗勢調査などに幅広く関わっておられますが、そのようなご体験をもとに、日本仏教の現状について感じておられることを聞かせていただけますか。
川又 まず、社会学を研究してきた者として、議論の前提を話します。現代日本は1960年代、皆保険や皆年金など現代につながる社会保障制度が開始されました。やがて高度経済成長期を終え、安定成長期へ変わる1980・90年代に制度が見直されました。いま思えば、小手先の改革にとどまっていたようにも思われます。やがて、少子化・高齢化が話題になり、「平成の大合併」や構造改革が実施され、2005年の国勢調査では「人口減少」が現実のものと人々の認識が広がりました。ただ、国、地方自治体、教育機関、一般企業などは、将来を見通した抜本的改革ではなく、現状維持に汲々としているようにも思います。私たちは、こういう現状にあると認識することが大事ではないでしょうか。
思い起こせば、私が大学院生だった1990年代、現代社会を扱った論文の多くは、経済成長や科学技術の進展が前提でした。新宗教や伝統仏教については、これにどう対応していくかが問われるなど、現在とは全く異なっています。しかし現在、私たち自身、今後どのような社会になるか先が見えない状況にあり、従前とは議論の前提が違ってきます。
私自身、14年前に今の大学に着任以来、ずっと三重県に居住しています。今回、東京に出て山手線に乗り、相変わらずの人口の過密さに、人口格差を実感しました。地方から大都市圏への人口流出など「極点社会」の議論もありますが、三重県でも18歳人口の県外流失超過は大きく、この課題に対し、県内各所で必死な議論、様々な対策が実施されています。しかし、簡単に解決するものでもありません。
翻って、宗教教団がどうなっているのかと言えば、多くの教団が何とかなっているということで、その維持で立ち止まっているのが現況ではないでしょうか。1年前ぐらいに各教団の機関誌のバックナンバーを読み、およそ50年前から現在までの教団会計を確認したことがあります。すると、近年の項目内容・比率は、バブル経済の頃と大きく異なっていないように思えました。人口減少は社会全体に長期的に影響を与えます。私は経営学の専門家でもないのですが、教団会計の概要を見る限りにおいて、各教団が今後の人口減少に対して抜本的な対策を立ててきたようには思えませんでした。
そうすると、国、地方自治体、教育機関、宗教教団などで、本来は、もっと前に手を打っておくべきところ、対応が相当遅れているのではないかと思われます。

――社会全体として人口減少に対する危機感を感じ始めたのはいつごろでしょうか。
川又 阪神・淡路大震災がありましたけれど、やはり2011年の東日本大震災あたりが大きなきっかけではないかと思います。

――意外に最近のことなのですね。
川又 高齢化割合が高く、共同体維持が不可能な状態を指した「限界集落」という言葉は、1990年前後に登場しましたが、当時はあまり浸透していなかったと思います。ところが、2006年に国交省が行った「集落状況調査」の結果、具体的な町の名前を出さず、高齢者が半数以上占める集落、機能維持が困難な集落、10年以内に消滅の可能性のある集落などの数を発表したことにより、「うちはどうなのか」という緊迫感が生まれ、この言葉が頻繁に議論されるようになりました。さらに、2014年には日本創成会議が、国勢調査をもとに2040年までに「消滅可能性都市」とされる896の自治体すべての名前を公表しました。具体的に「うちはどうなのか」が示されたことによるインパクトは、とても大きかったと思います。

――その流れの中で宗教教団の危機感も切実になってきたのでしょうか。
川又 それまでも危機感は感じてはいたのだと思いますが、おそらく、多くの寺院では「(自分のところは)まだ大丈夫」という意識だったのではないでしょうか。
そして、いまも「まだ大丈夫」と思われているかもしれません。1990年代、私がまだ20代のころ、東京のあるプロテスタント教会の調査をしたことがあります。白髪まじりの方が多く、このままだとこの教会は高齢化が進んで高齢者だけの教会になって維持できなくなるのではないかと、その教会内でも心配されていました。でも、東京は人口移動が激しいということもあって、10年たっても20年たって1980年代をピークにどんどん減っていますが、統廃合が進んでいるからでしょう。そして、結果的に小学校がなくなった地域は、やがて消滅に近いような集落状況で、お寺や神社もそのまま廃れた状態になっている例は、各地でいくつも見ることができます。日本社会のありとあらゆる分野で「選択と集中」という状況下にあります。お寺と神社だけが統廃合から免れられるということはありえないと思います。


●『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』と「人生100年時代」
――話は少し変わるのですが、「人生100年時代」ともいわれますね。先生も論文の中で『ライフ・シフト(*注)』という本のことを紹介されつつ、「人生100年時代」となって、今や80歳まで仕事をしなければならない時代になってきたと指摘されています。70歳近くなった私にとっても実感できることです。同世代の人たちを見ても、65歳を過ぎても次の仕事やテーマを探そうとしている人が多いですし、これまでのように定年になって余生は悠々自適に、というわけにはいかなくなってきました。
川又 『ライフ・シフト』という本は、2016年に翻訳されるとベストセラーになって、多くのメディアでも紹介され、私も大いに刺激を受けました。政府もこの本の内容に呼応したかのように、早速、「人生100年時代構想会議」を創設し、早くも2018年6月には、「人づくり革命基本構想」を発表しています。
世界的に高齢化の時代を迎えていますが、この本では、世界各地の統計などの資料を検討して、過去のロールモデルは役に立たないとして、寿命100年時代にどんな変化が起こり、どんな人生戦略をとるべきなのかという指針が述べられています。
たとえば、2007年に日本で生まれた子どもの半数は、107歳まで生きると予想されます。現状のように、20歳過ぎから65歳ごろまで企業などで働けば、定年退職後も安心して過ごせるでしょうか。仮に、働いていた時代に収入の10%を貯蓄し、引退して107歳まで、最終所得の半分の資金で暮らすことを計算すると、80歳まで働くことが前提となります。となると、何度か転職を重ねて80歳まで働けるように「生き方」を変えなければならなくなります。お寺の檀家さんたちも、このような時代を生きるわけです。

――「働き方改革」ならぬ「生き方改革」が促されているということになるでしょうか。
川又 社会の仕組みや制度を変えることももちろん必要なのですが、私は、考え方自体を切り替えて前向きに捉える方がいいのではないかと思っています。
今、大菅さんがおっしゃったように、20代まで学業にいそしんで、それから働き始めて、60代でリタイアする、というのが、おそらく戦後のひとつの理想的なライフスタイルになっていたと思います。しかし、そもそも戦前はどうだったかというと、農業や漁業に従事する人々が多く、ほぼ生涯現役で働いていたはずです。そう考えると、「学ぶ時期」「働く時期」「退職以降」という「3つのステージに縛られた考え方」ではない方がむしろいいのではないでしょうか。実は色々な働き方があるわけです。「一旦就職すると、それで将来がすべて決まる」というのではなく、「多様な生き方を選択する」時代というのは、私たちにとって、とてもいいことのように思われます。
80歳まで無理やり働かされる、と考えると嫌な気持ちになりますけど、そうではなくて、たとえば、自分が大学卒業時点の22歳で職業を決めたとしても、その後、30歳代や40歳代になって「起業したい」「転職したい」と思い、人生の選択肢を探るために、どこかの大学院に入り直し、新たなことに挑戦する……そういうことが当たり前と思えるようになればいいですね。

――「人口減少化社会」とか「人生100年時代」と言われると、つい悲観的に考えてしまうところがありますが、そうではなくて、前向きに、もっと創造的に考えようということですね。
川又 そうですね。それから『ライフ・シフト』の中では、持ち家、現金、銀行預金などの「有形資産」だけではなく、「無形資産」が重要であると述べられています。つまり、これからの時代、物やお金だけでなく、目に見えない形のない資産が大事だということですね。それは四つあります。まず「健康」、それから「パートナー」と「つながり」です。「つながり」というのは、友人や仕事のつながり、何らかのつながりということです。あともう1つは「能力」なのですが、私はこれを「学び続ける力」と解釈しています。
つまり、生きている間、学びはずっと続くのだということです。この発想に立てば、学びの場は身の回りに多様にあるので、大学でも、仏教講座でも、ボランティアでもいいので、そういうことに前向きに参加し行動することで、生き方の改革、自らの改革ができるのではないかと思います。
そう考えると、宗教者、僧侶の方々は、それぞれの現場において、様々に活躍できる可能性があるということだと思います。

――そういえば、今年は「スーパーボランティア」と呼ばれて、ある高齢のボランティアの方が話題になりましたが、定年退職後の高齢者の1つの生き方として、多くの人が共感や憧れをもって受けとめたのだと思います。たしかに宗教者、仏教者の方から様々な生き方や学び方の提案をしていく必要があるのかもしれませんね。


●「老いと宗教」
――まさに「人口減少化社会」「人生100年時代」に仏教はどんな役割を果たせるのか、ということになりますね。「老いと宗教」というテーマに尚一層真剣に取り組まなければなりません。喫緊のテーマですね。
川又 本当にそう思います。ところが、死と宗教、お墓と宗教、供養と宗教などについては、これまでに、数多くの研究成果があったのですが、どういうわけか「老いと宗教」については、少なくとも私が知る限りにおいて、ほとんど研究されてこなかったように思われます。エアポケットになっている感じですね。
そこで、「老いと宗教」について、最近、言われるようになった「ウェルビーイング(well-being)」ということと関連づけて少しお話ししたいと思います。私はこの3年間、北海道大学大学院の櫻井義秀教授が代表を務める「人口減少社会日本における宗教とウェルビーイングの地域研究」という共同研究の分担研究者として、信仰継承に関する研究に取り組んできました。
まず「ウェルビーイング」という言葉が、どういう意味かということですが、直訳すると「しあわせ」とか「幸福」ということになります。もう少し詳しく言うと、「健康の維持」と「良好な人間関係」と「ある程度の経済生活」です。この3つが「しあわせ」の要素だということですね。誰もが大事だと思えるものです。では、それらが不足した場合、はたしてウェルビーイングと言えないのか、幸せと言えないのかというと、どうでしょうか。決してそうは言えないように思います。今の3つの要素のどれかが欠けたところがあったとしても、活き活きと生きることができるのではないか、前向きに生きられる人生観というのがありえるのではないか、ということです。そういう観点から、この「ウェルビーイング」に着目した研究が進められているのです。
私は、人生を前向きに生きていく、という意味でいうと、宗教や宗教文化というものは十分にウェルビーイングの役割を果たしうるものだと思います。
たとえば、後で詳しくお話ししますが、私が調査している北海道の苫小牧地区にある教会の人々、高齢者になっても毎週教会に行くことが自分にとっての励みになっていますし、健康の秘訣にもなっています。これは仏教でも同じです。三重県の浄土宗のお寺の例ですが、80歳を超える女性が、年に10回行われる行事に参加し、皆さんと一緒にお経を唱えています。その方は、それに参加するために、必死に階段を登って来られて、それで、本堂に上がるとしゃんとされている。そういう姿を何回か拝見しましたが、人間というものは、思いがあって、仲間がいて、自分の役割があると、こんなにも活き活きと生きられるのだ、ととても感慨深く思いました。それは、各地の曹洞宗の檀信徒の皆さんにも感じるところです。
それから、同じく三重県にある真宗高田派の「七里講」という講の場合、定年退職された方が、上の世代から大きな役をバトンタッチして、十数年にわたって講を守り続けています。高年齢になった人ならではの役割があって、それを果たすことによって信仰も深まり、周りから尊敬もされるのだと思います。
これらの例を通して、ウェルビーイングのモチベーションの大きなひとつとして宗教はあるのだということに改めて気づきました。宗教は〈老い〉というものに間違いなくプラスの影響を及ぼしていると思います。お寺や僧侶には、〈老い〉の世代の生きがい=ウェルビーイングを実現できる大きな可能性があると思います。

――〈老い〉に対して私たちはマイナスのイメージをもっているのかもしれませんね。
川又 〈老い〉のよさもあるし、可能性もある。それをきちんとアピールすることが「人生100年時代」なのだろうと思います。60代、70代の方でも、スマホやSNSなどを使いこなしている方がけっこういらっしゃいます。100年生きるならば、よく生きたいし、楽しく生きたいわけです。そういう考え方に切り替えるためにはどうしたらいいのか、みんなで考えて提案するときなのかもしれません。とくに地域に根ざして心の安らぎに深く関わる仏教者に期待されるものは大きいと思います。

――ありがとうございます。人口減少時代とともに寺院も減少していくのだ、と悲観的に考えがちですが、「人生100年時代」、仏教者は前向きな生き方や学び方を提案していくときなのだと、希望をいただいた気がいたします。次回は、宗勢調査や檀信徒意識調査から見えてきたものについて、さらに具体的なお話をうかがいたいと思います。 

(*)リンダ・グラッドン、アンドリュー・スコット(池村千秋訳)『LIFESHIFT』東洋経済社、2016年。

(次回は8月16日配信予定)

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