【連続インタビュー】仏教の社会的役割を捉え直す⑨


前回は、川又俊則先生(鈴鹿大学副学長、こども教育学部学部長、教授、社会学)に、曹洞宗宗勢総合調査や曹洞宗檀信徒意識調査に携わる中から見えてきたものについてお話しいただきました。そして「寺院格差」「後継者の問題」「檀家数の減少」の3つが、曹洞宗だけではなく、現在の日本仏教教団に共通した傾向であることをご指摘いただきました。では、そのことを踏まえて、これからの時代、僧侶や寺院はどのような役割を果たしていけばいいのか。今回は具体的な提案や提言をいただきます。なお、川又先生のお話は、今回が最終回となります。

聞き手・構成 (公社)シャンティ国際ボランティア会専門アドバイザー・曹洞宗総合研究センター講師 大菅俊幸

川又俊則氏に聞く(第3回)「多世代、多文化共生社会」に向けて

●ソーシャル・キャピタルとしてのお寺―お寺がつなぐ人と地域
――前回は、曹洞宗宗勢総合調査や曹洞宗檀信徒意識調査などから見えてきたことについてお話しいただきました。今回は、これからの時代に、僧侶や寺院はどのような役割を果たしていけばいいのか、具体的なご提案やご提言をいただければと思っています。
川又 まず申し上げたいのは、一般的な世論調査によれば、日本では「自分は信仰をもっている」と自覚している信仰者は2割から3割程度なのですが、「宗教心は大事」と思っている方は7割から8割います。このギャップは現代日本人の特徴でしょう。
これに宗教者はどう対応しているでしょうか。寺院の檀家さんたちの多くも、じつは「自分は信仰をもっている」と自覚していないかもしれません。また、日本人の宗教に対するマイナスイメージも相変わらずです。このような日本の宗教事情からすれば、いかに布教し、伝道し、教化するか、と考えるより、むしろ、人々の苦悩やニーズにどう対応するか、という観点に立って宗教活動に取り組んだほうが、人々の心をつかめるのではないかと思います。その結果、個々人が宗教の意義を見直すことにもなるでしょう。キーワードを挙げるなら、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)を大事にしたアプローチということになるでしょうか。
ソーシャル・キャピタルとは、人々の協力や助け合いの行動を促す「信頼」「お互いさまの支え合い」「つながり」などのことです。経済学や社会学でよく用いられる言葉で、普段は目に見えなくても、教育や健康などに大切な役割を果たしているものです。
ちなみに、東日本大震災はとても痛ましい災害であったにもかかわらず、人々は互いに譲り合い、自分を犠牲にしてでも弱い立場の人を助け、世界から高い評価を受けました。日本のソーシャル・キャピタルの厚みを世界に示したのだと思います。
そのようなことで、地域社会の「信頼」や「支え合い」や「つながり」というものを醸成するために、いかに宗教者、僧侶が取り組むのか、だと思います。そのような試みや実践はすでにあるので、それらも参考にしつつ取り組まれてはどうでしょうか。
たとえば、様々な事情で、食事に事欠く子どもや孤食の子どもたちに食事を提供する「子ども食堂」が最近、よく話題になっていますが、その例の1つと言えるでしょう。現在、子どもの貧困が1つの大きな社会問題となっています。日本では、子どものいる世帯の相対的貧困率は、先進諸国でも高い方で、一人親世帯の貧困率は50%を超えており、とくに母子家庭の生活課題は深刻といわれます。
こうした状況を受けて、志ある市民が支援に立ち上がり、「子ども食堂」の設立が全国に相次いでいます。地域の子どもたちへ定期的に温かい食事を提供し、地域全体で子どもと親を支えていく気運も高まっているのです。
率先して「子ども食堂」に取り組むお寺も全国的に増えています。お寺は、本来、人と人とのご縁をつむぎ出す場所でしょう。かつて、日曜学校や子ども会を行っていた寺院が、この数十年でだいぶ少なくなったようです。
しかし、実際に支援を必要としている子どもたちがおり、たとえ檀家さん相手ではなくても、地域社会にお寺を開いていくことで、人と人の交流が始まり、地域もお寺も活性化していくのではないでしょうか。
お寺の役割、存在意義は、地域のつながりの拠点として、増しているというところもあります。

――私も「子ども食堂」に取り組んでいる団体の方にお話をお聞きしたことがあるんですが、そのとき「お寺で子ども食堂をやっていただけたら有り難い」という声がありました。お寺には何百年と地域に根ざしてきた歴史の重みと信頼感があるのだと思いました。
川又 「子ども食堂」はほんの一例で、それこそ、ご住職が民生委員や児童委員を務められたり、お寺が災害ボランティア活動の拠点となったり、今大菅さんがおっしゃったような「地域に根ざした歴史」による信頼は、お寺ならではの特徴だと考えると、お寺には様々な可能性があるのではないでしょうか。


●共生社会の拠点として
――地域社会の人々が連携する拠点となって、結節点となって、お寺や僧侶が様々な役割を果たせるということですね。むしろそれが求められているのではないでしょうか。
川又 そうだと思います。私は、これから、多世代共生社会、多文化共生社会になっていく中で、お寺が果たせる役割はとても大きいと思っています。
私が思い描く社会の具体的なイメージをお話しします。たとえば、私が住んでいる三重県のある浄土宗のお寺では、子ども向けに、ボランティアによる学習支援や日本語支援の塾を開いています。その経済的支援のため、黒ニンニクをつくる活動への参加を広く募り、若い方たちにも農業を一緒にすることを呼びかけ、取り組んでいます。
一人暮らしも多い高齢者向けに、一日一食ぐらいはみんなで一緒にご飯を食べよう、と、安い料金で「高齢者食堂」も運営しています。
これらの活動は住職1人だけでなく、様々な世代、様々な職種の方が集まってチームを組んで多世代にアプローチしているのです。
それから、三重県は海外関連の企業や外国の方が多いので、そういう方々にアプローチする活動もあります。今後、外国人の働き手の方々が増えていくことが予測されるので、益々、多文化共生社会への対応が必要とされるでしょう。

――今のお話で思い出しましたが、最近、あちらこちらで「僧侶によるカフェ活動」がはやっているようですね。一人暮らしの高齢者が増えたことも関係あるのかもしれません。居場所や人と人とのつながりを求めている方は多いのではないでしょうか。
川又 真宗高田派本山の専修寺門前にあるレストラン「ぼんぼり」でも、月に1回、そのような取り組みを行っています。私もうかがいたいのですが、毎回、満席で、まだ実現できていません。それだけ僧侶と触れ合いたい方が多いようです。
ですから、うまくきっかけを作って場所を提供すれば、人が集まって来るのだと思います。あとは僧侶の側が、人々のニーズをしっかり把握して、うまく工夫することでしょう。宗教者は求められていると思います。
ここで、私の知っている例として、北海道のキリスト教教会の方たちの取り組みを紹介しましょう。自分が所属している教会だけではなく、地域内にある教会全体のことをみんなで理解し合い、みんなで支え合おうと活動している信徒さんと牧師さんたちがいて、その取り組みは「共同牧会」と呼ばれています。


●「共同寺院」は可能か

「共同牧会」の一つ、苫小牧弥生教会

――それは興味深いですね。その「共同牧会」というものについて、もう少し詳しく教えていただけますか。
川又 日本基督教団北海教区苫小牧地区の教会、つまり北海道のプロテスタント教会による取り組みです。同地区に所属する教会は8教会ですが、50年ほど前、この8教会で3人しか牧師さんがいない時期がありました。それぞれが教会を兼務し、毎週の礼拝にその3人がフル回転しても、月に何千キロも移動しなければならず、それは千葉と埼玉と神奈川を毎日廻るようなものでした。移動だけで1日がかりとなり、とても対応できる状況ではなくなったのです。
それでどうしたかというと、信徒さんたちが話し合い、互いに教会に行って礼拝し、牧師が来られないときは信徒の誰かが祈ろう、となったのです。
さらに画期的なことには、8つの教会すべてを、お互いに理解し合い、支え合おうということで、信徒集会を年1回、各教会持ち回りで開き、それを通して各教会の現状を信徒みんなで理解し、交流を深めよう、牧師も交換説教しよう、ということになり、それを続けています。素晴らしいことだと思います。
牧師側が先導したというより、教会を存続するために自分たちが協力し合わないといけない、と考えて、信徒側が積極的に動いたと言えるでしょう。
通常の献金とは別に、「共同牧会」用の献金も行って、遠方から牧師を呼ぶための交通費を捻出しています。私はそこが、この「共同牧会」のポイントだと思っています。現在、8教会を6人の牧師が兼務し、礼拝のときは、ほぼ牧師がいる状態で運営されています。自分が所属している教会だけではなく、遠方の教会のことも理解して、8つの教会が1つの教会である、という意識があってこそ、この「共同牧会」というものが成り立つのだと思います。
そこで、私はこういうことが仏教側でもできないものかと思うのです。たとえば兼務しているご住職のお寺がいくつかあったとしても、兼務どうしの住職や檀信徒が自分のお寺以外に、相手のことまで理解して寄り添うことができれば、共同牧会に近い形のものができるかもしれません。しかし、そのためには、「おらが寺」という意識を乗り越えなければなりませんね。

――なるほど。もし、そういうものが実現するなら、「共同牧会」ならぬ「共同寺院」ということになるでしょうか。牧師さんというより、信徒の皆さんが立ち上がって行動を始めた、ということも素晴らしいですね。仏教側にそういう例はないのでしょうか。

七里講の「四日講」(2015.7.4)

川又 三重県の真宗高田派には「七里講」というものがあります。これは、真宗高田派中興、第十世真慧上人を崇敬する人々の集まりです。具体的には、鈴鹿市を流れる鈴鹿川中流両岸を中心にした地域12ヵ寺の門徒(檀家、同行)が、200年以上も毎月の行事を行い、本山参詣も続けてきた伝統的な宗教講です。寺院を超えた門徒組織による運営という事例です。
毎月4日に、各寺院から2名ずつと講長、副講長などが、年間予定で決められた当番寺に集まって「四日講」を厳修し、15日には灯明まいり(本山参詣)をしています。「七里講」は本山のお七夜報恩講などで法主警護の役割も担っています。毎月の行事を通じて「七里講」に関わっている皆さんは、真慧上人のことを学び、かかわるお寺へも行き来しているのです。
1960年代から70年代頃、真宗各派などで門徒たちの講組織はたいへん活発に、報恩講他の行事でも信仰を深め合っていたようです。真宗ばかりでなく、かつての日本には、そういう例がたくさんあったと思うのですが、時代とともに消えていったのだと思います。ただ、「七里講」のように、現在も講組織を守り続けている人がいることは、私自身、実際に見聞きしています。

――日本には「隠れキリシタン」や「隠れ念仏」「隠し念仏」と呼ばれる人たちがいましたね。時の権力から弾圧され、宣教師や僧侶がいなくなっても、いのちがけで信仰を守り続けた人たちです。そのような人たちのことを思うと、決して日本の民衆は宗教心が稀薄なのではなく、内側には底力のような宗教心が眠っているようにも感じます。


●次世代教化システムの構築へ
川又 先ほどの「共同牧会」の話に戻りますが、教会に牧師さんが来られないときでも、信徒が交替で聖書について自分の言葉で語り、祈りの場を守り続けています。
21世紀の現在、仏教においてそういうことができる檀信徒がどれぐらいいるでしょうか。戦後70年、一般家庭では宗教に触れる機会もほとんどなくなり、学校教育でも宗教についてはノータッチです。そのような教育を受けた世代が圧倒的多数になってきて、自覚的な信仰意識の薄い檀信徒になっていくわけですから、信仰熱心な方々がいる一方で、そういう若い世代がこれからどうなっていくのか、懸念されるところです。

――熱心な檀信徒、宗旨を学びたいという意欲をもった檀信徒をいかに育むのか。そのことも今後の大切なテーマなのかもしれませんね。
川又 信仰に触れたい、信仰を深めたい、という方のために、宗教者がどのように手を差し伸べ、何ができるか、ということは宗派の学校や宗門の機関内だけでは見えてこないのではないでしょうか。一般社会ではどのような人がいて、どのような事情があるかは、現職で学ぶことではないかと思います。
じつは現在、科学研究費助成事業の1つとして、他の3名の先生方と一緒に「伝統宗教の『次世代教化システム』の継承と創造による地域の活性化」という研究に取り組んでいるところです。この研究を行う背景を少しお話しします。学校の教員になる場合、大学4年間で必要な教職課程の単位を履修した学生が、卒業時に教員免許状を取得できるわけですが、それで終わりではありません。教員は免許取得が出発点であり、教育現場に行ってから本格的な学びが始まるわけです。
新卒の方たちは教員の免許はあっても、体験的な知識がほとんどない状態のまま、児童や生徒たちに真剣勝負で向き合わなければなりません。ですから、教員の世界では、現職研修を徹底して行うのです。1年間に10数回の研修を行い、ベテラン教師が新人教師を育て上げます。さらに、そのあとも、6年目研修、11年目研修など行い、10年ごとに免許状更新を続けてゆくのです。県や市町の教育委員会主催の様々な研修、校内研修なども毎年最新の情報をもとに行われています。
激動の時代ですから、教育環境も絶えず変化し、多様なタイプの子どもや不登校・いじめなどの教育課題に向き合い続けなければなりません。常に新たなことを学ぶため、教員の研修のあり方は、常に問い直されているといってもよいでしょう。
他方、宗教者はどうでしょうか。当然、宗教者になるまでは一定の修行や学びを行い、現職研修も行われているでしょう。しかし、現場に入りたての若手僧侶に対する徹底した研修や、その後の更新制度などがあるかどうか、また、時代の変化に対応した研修制度の整備が進んでいるかどうか、という部分についてはいかがでしょうか。個々人の自覚に任せるだけでは、資質を問われるような宗教者が現れる可能性もなきにしもあらずではないかと思います。
ですから、若手の宗教者の鍛錬、ベテラン宗教者のさらなる錬磨、そして、その周りにいる信者さんたちも一緒に学び合うあり方。つまり、宗教者の養成とともに檀家さんの後継者、信者さんの後継者の育成をも含めた「次世代教化システム」というものを考え、提案させていただきたいと思っているのです。


――なるほど。僧侶も檀信徒もさらに磨き上げられて、僧俗一体となって仏法を継承していく、というしっかりした流れができれば素晴らしいことだと思います。


●若い僧侶たちの可能性

鈴鹿大学副学長 川又俊則氏

川又 この「次世代教化システム」として、私が大きな可能性を感じる若い僧侶たちの活動があります。その3つをご紹介します。どれも、次世代を担う立場の僧侶たちが、現状を見据えて、様々な形で現職僧侶による研修を実践している事例です。
まず曹洞宗の例ですが、三重県曹洞宗青年会の皆さんは、1泊2日の「緑蔭禅の集い」を52年間、継続しておられます。三重県各地から20代から40代の方々が集まって、違う宗派の方々も一緒になって、災害ボランティアなどにも丁寧に取り組んでいます。
こうした曹洞宗青年会というのは三重県だけでなく各地にあるわけで、こういう形で現職の若手を育てていくことは素晴らしいことだと思っています。
それから、天台真盛宗の福井教区では、2004年に「蒐修会」という会が、30人ぐらいのメンバーで結成されました。福井教区内では、地域で法要の仕方や用いる経典などが異なり、随喜や用僧などに呼ばれて、自分の地域のやり方と違ったりすると混乱してしまいます。そこで、みんなで集まって勉強し合いました。布教師を目指した研修会を開いたり、研鑽を積むためにみんなで教区の法要に携わるなど、様々な活動に取り組んでいます。
さらにもう1つ、やはり三重県なのですが、「亀山若手僧侶の会SANGA」という会があります。天台真盛宗、浄土真宗、臨済宗などの9人の僧侶が集まって、超宗派で活動している組織です。もともと地元の亀山市の仏教会が超宗派でお互いに意見が言えるような仲の良い関係にあって、その若手世代が、今度は自分たちで独自に活動しようとスタートしたのです。依頼に応じた法話も随時行い、2016年以降、定例的な研修会を開催しています。この秋(2018年)には、社会福祉活動に関係したドキュメンタリー映画を招聘して、上映前にはメンバーによる法話も映画館で実施しました。こういう取り組みをフェイスブックなど使って発信もしています。
こうした檀家さん以外の方々に対する取り組みが増えてきた、というのがこの1年半の調査研究を通して感じていることでもあります。
このようにみてくると、様々な工夫をしている僧侶やお寺の事例はたくさんあるのだと思います。ぜひ、私自身この研究を通じて、それらを皆さんにお知らせしようと思います。
なお、意欲のある方が数人でも手を挙げて動き出すと、その周辺にいる関心のある方々も次々に動き出しています。これまでの成功例をみていると、次世代を担う可能性をもった方が、仏教界にもたくさんいるだろうと思っています。


――たしかに、これまでどおりの視野とか発想にとどまるのではなく、もっと関心を広げていく必要がありますね。川又先生には、数々の調査に携わってこられた豊富なご体験をもとに、日本仏教界の現状や今後の参考となる具体例や実践例について、様々に示していただきました。ところで、先生は、近々、曹洞宗宗勢総合調査に関するご本を出版されるとうかがいまし
たが……。
川又 はい。曹洞宗宗勢総合調査について、他宗派との比較やクロス集計など含めて分析したものを、相澤秀生師(跡見学園女子大学講師)と私で編者を務めた単行本、『(仮)岐路に立つ仏教寺院』にまとめました。今年6月に法藏館から刊行予定です。今回、お話しした内容をさらに詳しく知っていただけると思います。ご覧いただければ幸いです。

――それはとても楽しみです。ぜひ拝読いたします。曹洞宗はもちろんのこと、他宗の方も含めて広く読んでいただきたいですね。3回にわたって貴重なお話をありがとうございました。

(次回は9月13日配信予定)

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