梅花流ことはじめ【その9】斯道会のご詠歌研修


丹羽仏庵にわぶつあん師が呼びかけた斯道会による御詠歌の研修とはどのようなものだったのでしょう。丹羽廉芳れんぽう禅師著『梅花開』、安田博道やすだはくどう師著『歌声に仏まします』等によると、洞慶院とうけいいんに集まった丹羽師法縁の曹洞宗宗侶しゅうりょたちにご詠歌指導を行ったのは、密厳みつごん流の師範だったそうです。じつは2016年10月、この方が山形県にご健在と聞いて、お話を伺ってきました。名前は神尾昭臣かみおしょうしん師(旧姓・長岡)、訪問時88歳、同県長井市の真言宗豊山ぶざん摂取院せっしゅいんの前ご住職でした。以下はその内容です。

 当時、私は大正大学を卒業したばかりで、埼玉県川口市の善光寺に寄宿していました。洞慶院へ赴くきっかけは、同寺に寄宿していた出版社・古径荘こけいそう社長の森地氏が、洞慶院・丹羽仏庵師と懇意にしており、「仏庵師からご詠歌指南の指導者を紹介してほしいと頼まれたが、あなたいかがですか?」と言われて、それに応じたのです。今にして思えば大変なことをしたものでした。私の生まれは栃木県のお寺でしたが、少年時代そこで行われていたご詠歌に触れて聞き憶えていました。善光寺寄宿後、同寺の役僧にご詠歌師範がいたので、その人について習い、密厳流師範の資格を取っていました。洞慶院での講習は月例1回。1泊2日の講習を1951年頃、約1年間続けました。参加者は約十数名。安田博道師、丹羽廉芳師、丹羽鐵山てつざん師、大賀亮谿おおがりょうけい師、大島賢龍おおしまけんりゅう師等の他、丹羽師のご兄姉という女性の方もいました。仏庵師は厳格な人で、毎回講習に参加し、受講者を叱ることもありました。使用していたのは梅花流の教典でしたが、曲はみな密厳流の曲で、譜も同じだったので問題なく講習できました。私が一番若かったのですが、みなさん大変熱心で、安田師などは以前別の流派をやっていたらしく、上手なお唱えでした。1959年に縁あって山形に来たのですが、それ以来ご詠歌はやっていません。

 このお話はとても貴重なものでした。本連載【その二】で戦後、各流ご詠歌が活況を呈し、中でも密厳流が盛況だったようすを紹介しましたが、斯道会と密厳流との関わりもそうした背景があったと言えるでしょう。また初期の梅花流教典に載せられた曲が密厳流のものであったとありますが、これについてはやや説明が必要になります。密厳流と梅花流の接点を考える際にあらためて取り上げましょう。斯道会はこのように洞慶院を拠点に行われた私設のご詠歌研修グループという性格のものでしたが、梅花流発足の1年も前から詠唱研修を継続的に行い、梅花流発足当初には、同会会員がその主導的立場を担うようになっていました。

※神尾昭臣師は2019年に遷化されました。

秋田県龍泉寺 佐藤俊晃

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