【シャンティ国際ボランティア会(SVA)だより】慈悲の社会化を体現 今年1月に急逝した八木澤克昌氏を偲んで

2025.08.20

ボランティアの動機 今年1月7日、SVA理事でアジア地域ディレクターを務めていた八木澤克昌氏が亡くなった。66歳だった。

SVAの前身である曹洞宗東南アジア難民救済会議(JSRC)のボランティアとして現地に赴任して以来、徹底して現場主義を貫いた当団体のシンボル的な存在だった。八木澤がこの活動に関わったのは1980年(昭和55年)のこと。前年の1979年はカンボジア難民問題がクローズアップされ、日本国内でも大きく報道されていた。曹洞宗では「同じアジアの同じ仏教徒の窮状を見て見ぬふりはできない」として難民支援活動を始めることとなった。そのために組織されたのが「曹洞宗東南アジア難民救済会議(JSRC)」だった。宗門として初めて海外において支援活動を行うこととなり、現地に赴くボランティアを募集した。曹洞宗青年会、宗門教育機関にその案内が告知された。八木澤は東北福祉大学に在学し、植村直己にあこがれて山登りに没頭する学生だった。卒業のタイミングでボランティア募集の案内に触れた。

東北福祉大学の学生であったから難民問題に関心を寄せていたのは当然だが、ほかに彼を動かした理由が2つあった。1つはヒマラヤの山を登ったとき、自分の荷物を持ってくれたポーターが小学生ぐらいの子どもだったことだ。社会福祉を学ぶ自分が児童労働をさせていいのだろうかと自問自答したという。もう1つは、すぐ上の兄が交通事故で急逝したことだった。いつ終わるか分からない命ならばやりたいことをやらなければダメだと思った。そして、宗務庁を訪ねてボランティア希望を申し出て、1980年7月に現地に赴任した。私もその8月に赴任した。そこで出会ったのが有馬実成師(SVA初代事務局長)だった。師は慈悲と智慧を兼ね備えた人で、理論と実践の人であった。その謦咳けいがいに接して八木澤は有馬師を師と仰ぎ、父と慕うようになった。

1981年、JSRCは解散しその活動は曹洞宗ボランティア会(SVA)、現在のシャンティ国際ボランティア会に引き継がれたが、その初代会長に就任した松永然道師との相見も大きかった。その大きな慈悲の衣に抱かれ、安心して戯れる子どものように活動に邁進していった。さらには、共にボランティアとして活動した丹羽耕健師(静岡県伊豆市・泉龍寺前住職)にも大きく影響を受けた。いわば僧堂の師家との面授のように、諸師の煖皮肉に触れて菩提心を涵養かんようしていったのだろうと思う。

 

慈悲の社会化

八木澤の信条は現場主義であり行動主義であった。その根底にあったのは、有馬師が常に語っていた「慈悲の社会化」という考えであったと思う。慈悲はそれぞれの心の問題ではあるが、それを心にしまっておいただけでは何にもならない。慈悲心を行動にして広げていかなければ社会に慈悲は生きてこない。それが大乗仏教の意味であろう。

八木澤は長くバンコクのスラムに居を構えていた。スラムに住みスラムの住民と共に生きていなければ、この問題解決はできないとの信念だった。そこから生まれた1つのプロジェクトがある。

スラムは、泥沼のゴミ溜めのような場所にできた住居群だった。ゴミのある所にゴミを捨てるのは当然。ならばスラムをきれいにするために、ゴミを集めてきたらその分の花の苗木と交換するというプロジェクトを始めたのだ。名付けて「クリーン&グリーン」。はじめは誰もがそんなことはできないと冷笑していたが、その思いが徐々に広がりスラム全体が活動に参加するようになった。いつしかゴミを捨てられなくなり、スラムはきれいになっていった。「誰も花のある所にゴミは捨てないからね」と八木澤は語っていた。一人の日本人ボランティアの行動でタイのスラムがきれいな場所になっていくという夢のようなことが実現した。

 

八木澤の夢

八木澤は「ミパドの男」と呼ばれた。ミパドとは「ミッション・パッション・ドリーム」(使命・情熱・夢)の略だが、彼が常にこのスローガンを口にしていたからだ。しかし、彼の「夢」は荒唐無稽な絵空事を語っているのではない。彼の夢は、スラムの泥に両足を突っ込み、社会の底辺から見上げたときに、バラックの庇の間に垣間見える青空に希望を投影し希求するような、熱い願いにほかならなかった。

「慈悲の社会化」とは、そのような社会の困窮の中から醸成される涅槃への欣求であるのだろう。その現実に触れなければ慈悲心は発露されず、菩薩行にも誘引されない。だからこそ彼は、数多くのスタディツアーを主導し、大勢の日本人を現場に案内することの労を惜しまなかった。それは、慈悲の社会化の仲間づくりであったと言える。

八木澤は在家ではあるが、有馬師、松永師、丹羽師に相見しその薫陶を受け、社会の底辺という修行道場で慈悲と智慧を学び、菩薩行を実践した道者であったと言える。彼の志に影響を受けたのは当会の関係者のみに留まらず、多くの宗門宗侶に及んでいると推測する。八木澤が45年間現場に居続けたから現在のSVAがあると言い切ることができる。

1月11日にタイ・バンコクの寺院で執り行われた葬儀には、彼がかつて事務所長を務めたカンボジア、ラオス、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプのスタッフ、日本からの関係者、そしてタイ国内で関わった大勢の人々が参列し、別れを惜しんだ。

その遺骨は本人の希望でタイ・チェンカーンからメコン川に散骨された。そこには既に有馬師、丹羽師の遺骨の一部も流されている。彼らの慈悲心は、この流れに乗ってタイ、ラオス、カンボジアの国土を潤し、さらには大海に注いで、水蒸気と化し雲となり雨となって世界を潤してくれるだろうと、切に冀う。

合掌

シャンティ国際ボランティア会顧問 三部義道

シャンティ国際ボランティア会
〒160-0015 東京都新宿区大京町31 慈母会館2·3階