【シャンティ国際ボランティア会(SVA)だより】タイ・カンボジア国境紛争とカンボジアの仏教

2025.10.15

タイとカンボジアは800キロにわたる長い国境で接していますが、そのうち数ヵ所で国境が未画定のためにこれまで何回か紛争が起きています。

原因は100年以上前の西欧列強の植民地時代に遡ります。1863年にフランスはカンボジアを保護国にし、1904年には当時シャム(現在のタイ)の領土であったカンボジアの北西部を仏領インドシナに割譲させ、1907年に地図を作成して国境を策定しましたが、あいまいな部分があり、特に断崖絶壁の上にあるプレアヴィヒア寺院の帰属が問題となりました。

1954年にカンボジアがフランスから独立すると、カンボジアは同寺院を実効支配していたタイを国際司法裁判所(ICJ)に提訴。1962年に同寺院の所属はカンボジアであると判断し、この判決をタイも受け入れましたが、周辺地域については未画定のまま残されました。

そして、2008年に同寺院が世界遺産に登録されると、再度国境紛争が勃発します。2011年には激しい武力衝突が起き、死傷者が出て、多くの避難民が発生しました。カンボジアは国際司法裁判所に提訴し、今度は同寺院の周辺もカンボジアに帰属するとの判決が出ました。

その後も国境の未画定地域では小競り合いが起きていましたが、今年の5月28日、寺院の東の係争地で衝突が発生。カンボジアの兵士1名が亡くなり、お互いに相手が先に発砲したと非難し合いました。国境が閉鎖され、タイ兵士が地雷を踏む事故が発生すると相互に大使館も閉鎖。ついに7月24日に大規模な軍事衝突に至り、それぞれの国の軍人、民間人合わせて数百人の死傷者が出るなど、国境地域の住民が20万人近く避難する大変な事態となりました。

双方が非難し合い、紛争が拡大する危険性が高まっていましたが、当事国同士で停戦の糸口が見いだせない中、アメリカのトランプ大統領の「戦闘が続いているうちはどちらとも関税の合意はしない」との警告がきっかけとなり、7月28日に東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国のマレーシアのアンワル・イブラヒム首相が調停役となり、アメリカ、中国なども参加して、クアラルンプールでカンボジアのフン・マネット首相とタイのプムタム・ウェーチャヤチャイ暫定首相が会談し、現地時間7月29日の午前0時からの無条件停戦が決まりました。

これを受けて7月29日の朝、カンボジアに2派ある仏教の内、9割以上を占めるモハー・ニカーイ派の総本山のウナロム寺の住職であり、仏教大学の学長であるヨン・セン・イエット大僧正が同寺の僧侶357名を率いて、避難民救援のための托鉢をプノンペン市内で行いました。さらに全国の寺院で支援金、物資が集められ、避難民の受け入れ先となった多くのお寺に届けられました。

8月7日にはカンボジア・タイ両国がマレーシアでの会議ですべての攻撃の停止を含め、停戦合意を実行するための仕組みを決定しました。ASEANを中心とした国際停戦監視団が編成され、国境地帯を実際に視察するようになった結果、ようやく実際の衝突がなくなりました。しかし、係争地帯の兵力の引き離しや国境の未画定問題といった厄介な問題の解決には、これからまだまだ時間がかかりそうです。

托鉢の先頭に立つヨン・セン・イエット大僧正

8月10日にはプノンペン市内のお寺18ヵ寺の僧侶2,569人と多くの市民が、平和と停戦協定の順守、捕虜の返還を求めてプノンペン発祥の地、ワット・プノムから市内の大通りを通って独立記念塔まで平和行進「トアンマ・イエトラ(法の巡礼)」を行いました。

同日にスヴァイリエン州、8月14日にストゥントレン州、8月17日にプレイヴェン州、8月23日にシェムリアップ州。8月24日にココン州では僧侶、州の指導者、校務員、教師、学生などの一般市民2万人が参加して平和行進も行われました。

人々の心を一つにし、戦争ではなく平和を願う法の巡礼に合掌。

カンボジア宗教省仏教研究所顧問・シャンティ国際ボランティア会専門アドバイザー 手束耕治

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