【シャンティ国際ボランティア会(SVA)たより】八木澤克昌理事追悼の旅に寄せて―「ミ・パ・ド」
令和7年1月7日、SVA理事であった八木澤克昌氏が逝去された。昨年11月、関係者有志と共に、バンコク、チェンカーンなどゆかりの地を巡りつつ、メコン川で読経供養させていただき、あわせて氏の念願でもあった7年ぶりに開催された「難民子ども文化祭」に、追悼の思いをもって参加する機会を得た。
八木澤氏との最初の出会いは、約40年前、私が大学進学のため上京したばかりのころである。巣鴨の一角、当時のSVA事務所近くの居酒屋で、先師に伴われ有馬実成老師はじめ諸先輩方と席を共にした。その折、海外から帰国されていた八木澤氏と同席したのが最初であったと記憶している。
世間知らずの未熟な青年であった私にとって、志をもって世界に向き合う先達の姿は鮮烈であり、有馬老師から「問題意識を持っているか」と問われながら、何一つ答えられなかった己の未熟さを今も忘れることができない。
再び八木澤氏と言葉を交わしたのは、それから十数年後。それまで直接会う機会は多くなかったが、先師を通じてその名と逸話に触れてきた私にとって、以前から存じ上げていたような親しみを感じる方であった。氏は自らの信条・信念を「ミッション・パッション・ドリーム」(使命・情熱・夢)、すなわち「ミ・パ・ド」と語り、「スラムのことはスラムにいなければ分からない」と常に現場に立ち続けておられた。その姿に触れる中で、私が今日SVA理事に籍を置くに至った背景にも氏の思いが働いていたのだと、後に聞き及んだ。
訃報に接したのは昨年1月7日。急ぎバンコクへ向かい、葬儀及び荼毘の場に立ち会い、ただ直接の別れを告げたい一心で手を合わせた。三部義道老師(SVA顧問)より授けられた戒名「慈海昌道居士」は、有馬実成・松永然道両師の道号よりそれぞれ一字をいただいたものとうかがった。氏が一時、両師のもとでの出家に思いを寄せていたことを思えば、その歩みの一端を映すもののように感じられた。
11月の訪問では、チェンカーンのメコン川で皆で手を合わせ読経し、メーソットでは現地事務所や移民学校を訪ね、国境地域の現状に触れた。さらにタイ最大の難民キャンプで再開された「難民子ども文化祭」に参加し、キャンプ内の家庭訪問にも同行した。子どもたちの明るい笑顔の奥にある厳しい現実と、それでも前を向こうとする力強さに触れたとき、氏の語り続けた「現場に立つ」という言葉の重みを実感した。 SVAの源流は、46年前に設立された「曹洞宗東南アジア難民救済会議(JSRC)」にある。その歩みの根底にあったのは、慈悲心と『菩提薩埵四摂法』における「同事行」であった。その志は「曹洞宗国際ボランティア会(SVA)」を経て現在の「シャンティ国際ボランティア会」へと受け継がれてきた。八木澤氏も設立当初からその歩みに加わり、現場に根ざした実践を重ねてこられた。そして最も古いスタッフの一人として、ともに現場に立ち続け、海外事務所では時に先頭に立ちながら会の歩みを体現してこられた。その積み重ねは、国内外7ヵ国8地域に広がる日本人職員及び海外職員をはじめ、多くの関係者に受け継がれている。
今日、宗門を取り巻く状況は半世紀前とは大きく様相を異にしている。人的・経済的制約の中で支援の継続は容易ではない。しかし歩みを止めるわけにはいかない。同事行の実践は、いかなる時代にあっても失われてはならぬものである。
氏より直接に教えを請う機会は、もはや叶わない。しかし、その生き方は今なお私たちに問いを投げかけている。「何を為すべきか」。その問いに向き合い続けることこそが、何よりの供養となるのではないだろうか。 「ミ・パ・ド」。その灯を絶やすことなく、宗門の末席に身を置く者として、微力ながら歩みを重ねていきたい。

シャンティ国際ボランティア会常務理事 松永寛道
シャンティ国際ボランティア会
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