【シャンティ国際ボランティア会(SVA)だより】仏教とカンボジアの人々の心の復興~カンボジア事務所開設35年を振り返る②

「仏教徒であることはカンボジア人である」と言われるほど、仏教はカンボジアの人々の暮らしと深く結びついています。寺院は、祈りや祖先供養の場であるだけでなく、教育、文化、福祉、地域活動の中心でもありました。人々は仏教を通して慈悲や助け合いを学び、誕生から死に至るまで、その教えを心の支えとしてきました。
しかし、1975年から1979年までのポル・ポト政権は、宗教、教育、家族、伝統文化を革命の妨げとなる「古いもの」として否定しました。全国3369ヵ寺の寺院が閉鎖され、約6万5000人の僧侶は還俗を強いられ、多くの僧侶や知識人が命を奪われました。寺院は倉庫や家畜小屋などに転用され、経典、仏教書、貝葉経、古文書も焼却・散逸しました。祈りや供養、祖先を敬う行為さえ禁じられ、人々は家族や地域のつながりと共に、心の拠り所を奪われたのです。
それでも、仏教への信仰が人々の心から消えることはありませんでした。密かに祈り、記憶に残る経文や儀礼を守ろうとした人々がいました。1979年にポル・ポト政権が崩壊すると、人々は心の奥深くに封じ込めていた信仰を取り戻し、廃墟となった寺院を自らの手で修復し始めました。僧侶も経典も不足し、政府による出家制限もありましたが、1989年に制限が撤廃されると、僧団と仏教教育の再建が本格化しました。
一方、タイ国境の難民キャンプでも、元僧侶や年長者の記憶を頼りに仏教を学び直す活動が始まりました。祈りや祖先供養、伝統音楽、舞踊、図書館活動は、家族を失い、故郷を追われた人々の悲しみを和らげ、カンボジア人としての誇りと尊厳を取り戻す力になりました。SVAが取り組んだ仏教書やクメール語図書の復刻は、失われた民族の記憶と文化を次世代へつなぐ営みでもありました。
1990年代に和平が進むと、寺院、仏教学校、仏教研究所の再建、僧侶の育成、経典や仏教書の復刻・配布が全国で進められました。再建された寺院を中心に人々が集まり、学校や図書館をつくり、池や井戸、道路を整備し、孤児や高齢者を支え、職業訓練や相互扶助の活動を行いました。寺院の復興は、建物を建て直すことにとどまらず、破壊された人間関係と地域社会を結び直す復興でもあったのです。
その象徴的な活動が、「カンボジアのガンジー」「戦場の仏陀」と呼ばれたマハ・ゴサナンダ師のタンマ・ヤトラ(法の行進)です。1992年、師は僧侶、在家信者、帰還難民らとともに、タイ国境からカンボジア国内へ、地雷や戦闘の危険が残る道を歩きました。その後も行進を重ね、村々で読経し、人々に聖水をかけ、特定の政治勢力に味方することなく、非暴力、慈悲、赦し、和解を説き続けました。
長い内戦によって人々の心には恐怖と不信、怒りと復讐の感情が残っていました。師は、社会の平和は一人ひとりの心の平安から始まると説き、「一歩一歩」共に歩く姿によって平和を実践しました。武器を持たない僧侶と市民が戦場を歩く行為は、恐怖に支配された道を祈りと希望の道へと変え、敵味方を越えて人々が再び同じ社会に生きるための勇気を与えました。タンマ・ヤトラは、仏教が和平を支える社会的な力であることを示したのです。
仏教の復興によって、人々は亡くなった家族を供養し、苦しみを受け止め、互いに助け合いながら未来へ歩む力を取り戻しました。同時に、人々が信仰を守り、寺院と僧侶を支えたからこそ、仏教も再生することができました。 仏教の復興と心の復興は、互いを支え合う一つの歩みでした。カンボジアにおける仏教の復興は、人間の尊厳、文化的な誇り、共同体への信頼を取り戻し、国と社会を再建するための精神的な土台となったのです。
シャンティ国際ボランティア会専門アドバイザー 手束耕治
シャンティ国際ボランティア会
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